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で、でたぁ



▼寒いですね。
 いま2月8日の午前4時28分、夜明けまでにまだすこし時間があります。
 きょうは午前6時に出発して、長野への出張に向かいます。

 さて、いずれこの寒さも過ぎ去り、桜に彩られる日々を経て、やがて新緑の輝く5月が訪れます。
 その5月に、アメリカ在住の邦人のかたがたの志で開かれる、不肖ぼくの講演会の公式HPがきのう、登場しました。
 もちろん、ぼくや独研(独立総合研究所)がつくったものではなくて、アメリカ西海岸に住む、ふつうの日本人主婦のみなさんがつくられました。

 この個人ブログではふだん、他のサイトのURLを載せることはほとんどありませんが、例外として、お伝えします。ここです。
 明るい雰囲気の、そして必要な情報で満たされている、素晴らしいHPだと思います。


▼この講演会を手伝いたいというボランティアのお申し出も、Eメールや、このブログへの書き込みで頂いています。
 そのかたがたには、このHP上に、申し込みや問い合わせの窓口があります。
 ぼくは今回、あくまで講演者です。独研が主催している「独立講演会」と違い、このサンノゼ講演では、主催者ではありません。
 主催は、上記の主婦のかたがたを中心とした「日本を思う在米日本人の会」ですから、ボランティアのお申し出はすべて、そのHPの窓口からお願いしますね。


▼ちなみに、多くのかたがたのご意見もあり、宿泊費は、この主催者にご負担いただくことになりました。
 しかし航空運賃は、主催者に負担いただくと、受講者の参加費が高くなりすぎることになると考え、独研(独立総合研究所)が全額、負担します。
 ぼくらの祖国のための、無償の志に応えるのも、独研のつとめのひとつです。
 独研も、赤字に耐えられるときと、どうにも耐えられないときがあります。いつも、独研の総務部とぼくが、ぎりぎり苦しんで判断しています。
 今回は、前述したように、まったくふつうの家庭の主婦のかたがたの、長いあいだの志に応える講演会です。おたがいが協力して、実現可能にせねばなりません。
 太平洋を往復する運賃の自己負担は、独研の断崖絶壁のような財政事情からして、おそらく今回だけしか無理です。しかし今回は踏ん張りましょう。

 講演の演題は…

 ぼくらの祖国
  〜海外にあってこそ誇りが分かる


▼「アメリカ西海岸で5月に講演会があります」という簡単なお知らせを、以前にこのブログにアップしただけで、ずいぶんと喜びの書き込みをいただきました。ぼくも嬉しく思いました。
 すこし紹介しておきます。
 ハンドルネームのかたも、実名のかたも、お名前は出しません。書き込まれた日時だけ出します。

▽2013-01-16 13:50:20

青山さん
はじめまして。サンフランシスコ在住の者です。在米十年になりました。離れて初めて祖国の素晴らしさ、いや愛おしさを覚えました。ただ同時に祖国の現状、未来について不安を覚えます。
青山さんからの発信は離れている当方にとって本当に基調で有用なものです。本当に感謝しています。
講演会に是非参加させて頂きます。楽しみです。
お気を付けて起こし下さいませ。

▽2013-01-15 06:57:40

サンノゼで祖国のために何かしたいと思い、日系企業で働いています。
同地で講演があるならぜひ参加したいです。というか、実現に向けお手伝いしたいです。

▽2013-01-15 02:51:07

青山さん、独立総合研究所の皆様、
明けましておめでとうございます。

青山さん、いらしてくださるのですね、西海岸!
夢のようです。
私はロサンゼルスに在住です。
「ぼくらの祖国」や、「救国 超経済外交のススメ」など青山さんのご著書を回し読みしているうちに、日本について話し合っている仲間が自ずと増えてきました。
みんなで話している時よりに、必ずでる言葉が「青山さん、こちらで講演会して下さらないかなぁー」

でも、あのお忙しさじゃ、無理だろうし、、。
青山さんのことだから、オファーしたら無理に無理りして無理やり考えてくださるだろうけど、、そこまでは、、。とか会場とか経費のこととか、、。
グズグズしている間に、ナント、青山さんの方からきてくださるとは、夢のようです!
なにがなんでも、ロスから車を走らせて講演会に伺います!

旅費などの経費の自腹は、絶対にナシにして下さい!

では、お目にかかれること、心から楽しみにしております。
青山さん、ほんとにほんとに、ありがとうございます!

▽2013-02-08 03:32:32

青山さん
お忙しいところお邪魔をして申し訳ありません。
先日ブログに書いていらした、サンノゼでの講演の話は進んでいらっしゃいますか?

定員を越えるお申し込みがあって、お会いできなかったらどうしようと思い、一日に何回もブログをチェックする毎日です・笑
講演が実現し青山さんとお会い出来できますように・・・
どうぞ、ご自愛ください。


▼ごく一部ですが、すこし紹介しました。

 それから、「サンノゼに来るのなら、なんとかロスにも(シスコにも、ニューヨークにも)足を伸ばして、こちらでも講演を」といったご趣旨の書き込みも、すくなからず頂きました。
 よーく分かります。
 ただ、今回のぼくの日程は、宿泊があるといっても実質、日本からアメリカへ日帰りか、それに近い日程で行くような感覚に襲われるスケジュールです。

 今年に入って、あろうことか、もっと日程の詰まり具合は激しくなっています。昨年までは、人間のスケジュールとして、これ以上は絶対にあり得ないと、独研の全員が考えていたのですが、それ以上がありました。
 それでも、独研の秘書室第1課(日程調整担当)や、ぼく自身が、さまざまに検討しました。しかしサンノゼ以外のところへ立ち寄るのは、どうにも、無理です。
 どうか、分かってくださいね。

サンノゼ講演・追記



▼講演だけじゃなく、サイン会をおこないます。


▼たとえば、「ぼくらの祖国」(扶桑社)の表紙をめくると、赤い紙が出てきますね。

 そこに、「脱私即的」(だっしそくてき/わたくしを脱し、本来の目的につく/おのれの創った銘です)、あるいは「祖国は甦る」(ふだんの講演でよく掲げる演題です)、さらには「深く淡く生きる」(深淡生と略して呼ぶ読者などもいらっしゃいます/やはり、おのれの創った銘です)をまず、その赤い紙の右上に記し、次に、紙の真ん中に、あなたの名前や、あなたの家族、友だちなどの名前をいちばん、大きく書き、そして左下に、ぼくの名をやや小さく書きます。
 そして日付を入れます。
 時間がなくても、できるだけ、これを一冊、一冊、そのかたへの祈りを込めて、行います。


▼時間が許せば、落款を押すこともあります。
 ただこれは、「ぼくらの祖国」の赤い紙の上だと、押しても分からないので、「ぼくらの祖国」に押す場合は、さらにページをめくって、中扉に押します。

ぎゃー、もう飛行機が飛んでしまいそう

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▼みなみなさま、今、成田にいます。3月1日金曜の午前10時過ぎです。
 これからニューヨークへ飛び、日本版NSC(国家安全保障会議)について、国連の要人やアメリカのNSCの実情に詳しいひとびとと議論してきます。
 ご存じかもしれませんが、ぼくは今、日本版NSC創立の有識者会議の委員(正しい名称は議員)を務めていますから、請求すれば政府から費用が出るのかもしれませんが、それはしません。
 ぼくと、独研(独立総合研究所)から同行するふたりの計3人、交通費も宿泊費もすべて独研の「自腹」です。
 もちろん出費は強烈に痛いけど、その代わり、自由です。


▼この地味ブログでは、ちょっとご無沙汰をば、していました。
 ウルトラ過密日程のなかでは、優先順位をつけないとまったく乗り切れないので、どうしてもブログは、すこし後回しになります。

 書きたいこと、アップしたいことは山のようにあるのです!
「たかじんnoマネー」のこと、「スーパーニュース・アンカー」のこと、新しい出版のこと、独研(独立総合研究所)の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」で第2回目の雪上集会を、昨年の参加者の倍の人数で、この日程のなかでも完遂したこと…などなど。

 とりあえず、この1週間ほどは、「青山繁晴 反逆の名医と日本の歯を語る」という、中学高校時代の親友の歯科医と一緒に出す対談本のための、エッセイ執筆や、ゲラ校正がたいへんでした。
 疲れを押して押して執筆と作業を続け、今朝6時15分にギリギリで完成し、15分でニューヨーク行きの荷物をパッキングし、6時半に社有車をぼくが運転して、出発したのです。運転中は、ぼくは眠気というものをまったく感じません。
 一応、レーシングドライバーですから…。と言っても、ただのアマチュアですけどね。


▼さて、第15回の独立講演会の募集がもう始まっています。
 お知らせが遅れました。
 関心のあるかたは、どうか、お急ぎ、問い合わせや申し込みをなさってください。
 以下は、独研のHPから抜粋します。ただし、ちょっと書き加えたり、逆に部分的に省略したりしています。


第15回 独立講演会 (2013年 3月31日講演 : 申込開始しました)

【講演日】
2013年3月31日(日)

【講演時間】
開場:13時05分
開演:14時00分 〜 18時30分 予定

【講演内容】
「拉致問題をあらためて考える」…これに加えてアベノミクスをはじめ政治・経済・外交安全保障・エネルギーなどなど包括的に語り、ありとあらゆる分野のご質問に徹底的に答えます。

【場所】
タイム24ビル  研修室 5F 南

135-8073 東京都江東区青海2-4-32
TEL:03-5531-0024
ゆりかもめ「テレコムセンター」駅下車徒歩約2分
詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5000円 / IDC会員 4000円

【定員】
250名
※定員を超えた場合、抽選とさせていただきますのでご了承下さい。

【申込期間】
2013年2月25日(月)正午〜 2013年3月4日(月)正午→これは、すこしだけ延ばす予定です。

※今回の申し込みは、独研ホームページからのお申込みに限ります。
※メールアドレスは、個人のメールアドレスを正確に入力して下さい。
※全ての連絡は、メールにて行います。メールアドレスが間違っていると連絡が取れなくなりますので、ご注意下さい。
※FAX、メール、郵便でのお申込みは受け付けておりませんので、ご了承下さい。
※申込完了後、ご入力いただいたメールアドレスに、申込受付の確認メールが届きますので、必ず確認して下さい。
※確認メールが届いていない場合は、正常に申込が完了していない可能性がございます。
※ご不明な点については、お早めに講演会運営事務局に、メールでお問合せ下さい。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、申込締切り以降、メールにて連絡いたします。

【ご注意】
講演の録音と録画は固くお断りいたします。

【問い合わせ先】

独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独研の総務部では対応しておりません。
※独立講演会以外の講演については、こちらまで。


*写真は、国内出張の機内から見た、富士です。
 ああ、この、たおやかな誇り高き姿。

飛行機にはなんとか乗れたけど、明日はもう帰りの飛行機なのら…

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▼みなさん、今ニューヨーク時間の3月2日土曜の午前3時34分です。日本は同じ日の、もう夕方になっていますね。
 きのう金曜日の午前、成田で飛行機に飛び乗って、半日あまりを機内の仕事で過ごして、同じ日の朝9時にNYに着き、シャワーだけを浴びてすぐ、コロンビア大学や国連、日本政府の国連代表部などを歩き回って、日本版NSC(国家安全保障会議)創立のための議論を重ねました。

 そしてきょう土曜も、国連の実務者に会ったりして、明日の日曜午後には、もう成田に向かう飛行機に乗ります。
 まぁ、むちゃらくちゃらの日程です。独研(独立総合研究所)の総務は、ぼくのことを「絶対、壊れない」と思い込んでるから、こんな無茶日程もつくれるわけですが、実際、来て良かった。
 こんな日程でも、すこしでも現場の空気に触れると、頭がどんどん回転し、現実というものの手触りがありありと伝わってきます。


▼写真は、泊まっているホテルの部屋から見た、ニューヨークのハドソン川沿いの夜景です。
 昼間、仕事をしているときは、とても写真を撮る余裕がなかった…。
 コロンビア大学の印象深い構内とか、写真に撮ればよかったですね。

 コロンビア大学は、ぼくが共同通信の記者だったとき、共同通信の派遣で留学するかという話が一瞬だけあって、「いや、今の担当から外れてもらっては困る。戦力ダウンになる」という話がすぐに返ってきて、実現しなかったところです。
 ふひ。
 今は、コロンビア大学に留学中の、志ある日本人の学生が、ぼくの近畿大学経済学部での講義(国際関係論)をわざわざ、聴きに来てくれたりします。

 しかしNYの夜景もいつも、胸に残ります。
 NYはいいですね。なんか、いつも元気になる。
 泥のように眠くても激烈に疲れていても、元気になる。
 オータム・イン・ニューヨークという言葉の響き通りの雰囲気のある秋のNY、底冷えは底冷えで伝わるもののある真冬のNY、そして、今のようなかすかに春の気配のするNY。
 グランド・セントラル駅のオイスタバーの生牡蠣は、なぜかいつも、ほんとうにクリーミーだし。
 ゆうべも30個ぐらいを食ってしまった。店員さんに、いつものように驚かれ、呆れられ、握手された。
 こいつに、ホワイトビールのドラフト(生)を組み合わせると、どんな忙しい日程でも、生きる喜びがあります。
 
 ただし、東京のほうがNYよりずっと、きれいです。
 この頃の東京はほんとうに、きれいになったなぁ。
 あっという間に、また、その東京じゃあ。
 ふひ、ふひ。

 今度の第15回独立講演会は、東京での開催です。
 下掲の書き込みにあるように、申込期間を延長しました。
 「3月4日(月)正午締切り」が、「6日(水)締切り」となりました。
 みなさん、春の近づく美しい東京で会いましょう。
 NYに住んでいるひとも、東京で会って、ぼくと一緒に語り、考えましょう。

独立講演会の翌日(★間違いです!…独立講演会の半月前)に、横浜でも会えます


▼ニッポン放送のラジオ番組「ザ・ボイス そこまで言うか!」の企画によるトークショーを、今年もやります。
 参加自由、事前申し込みはなく、会費などもかかりません!

▼今回は、3月15日の金曜です。
 横浜高島屋8階の催事場で、正午にトークショーがスタートです。
 番組の飯田浩司キャスターとともに、愉しさいっぱいでトークします。
 そのあと、「ぼくらの祖国」のサイン会を今年も実施できるよう、ぼくとしてはお願いしていますが、それはまだ未定、調整中だそうです。

 トークショーが始まるまえに、開催中のイベント「うまいもん祭り」を今年もちらり、見ると思います。

▼初めてやるときは、「こんな平日の昼間に、ひとが集まるのかなぁ」と思ったのですが、とんでもない、もの凄く沢山のかたが集まってくださいます。
 みんなで盛りあがろう!

こわっ

▼みなさん、ジェットラグ(時差ぼけ)の強烈な眠気で、まったく間違えました。
 下掲の書き込みのタイトルで、「独立講演会の翌日」とあったのは、「独立講演会の半月前」です。

 この状態で、原稿を書いたり、人と英語で議論したり、メールを書いたりしてるんだから、気をつけないと、ほんとに、そういうときにも間違えそうです。
 (…ほかでは、間違えてはいませんが。)

 不可思議に思ったみなさん、ごめんなさい。
 ぺこり。

ボサノバを聴きながらの帰国、ならいいんだけど、ボサボサの帰国

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▼金曜に成田を出発したぼくでありましたが、きのう日曜の夜に、成田に帰ってきました。(→★間違いです。「日曜にもう、現地で帰国の便に乗り、月曜の夜に、成田に帰ってきました」…というのがホントです。時差ぼけ、ぼけぼけで、間違えました。ぺこり・ツー)

 今回の出張の目的地だったニューヨークは、フライト時間が半日では足りません。
 風(ジェット気流)に乗る往路でも、13時間近くになり、風に逆らう復路は、14時間に近づきます。
 したがって、狭い機中に閉じ込められる時間だけでも、合わせて1日を大きく超えてしまいます。

 そして東京とニューヨークの時差は14時間ありますから、まさしく昼夜逆転。
 ジェットラグ(時差ぼけ)にも、か〜な〜り、苦しむことになります。

 まぁ、心身の体力頼みの、無茶苦茶な出張です。
 よい子は真似をしないでくださいね。


▼この出張は、日本版NSC(国家安全保障会議)をより良く創るために、まったく自主的におこないました。
 ぼくは今、日本版NSC創立の有識者会議のメンバーですが、政府には一切、事前に何も話していません。
 アメリカ東海岸は渡航の費用も高く、独研(独立総合研究所)にとって実際、痛いですね。航空券はもちろん、NYはホテル代も高いからにゃー。

 しかし、そのために自由自在に動き、調べ、専門家らと議論できます。
 その成果の扱いも、誰にも、どんな機関にも縛られることがありませぬ。

 …行って良かったです。
 肌身にありありと感じること、あるいは論理的な組み立てのために軸になること、いずれもしっかり、ありました。


▼帰りの機中では、オーディオ・プログラムにボサノバがあったので、「こりゃいい、これを聴きながらリラックスして仕事しよ」と思ったのですが、そのボサノバの曲目がなにやらウエットな曲ばかり。女性シンガーが中心の演奏なのですが、ボサノバのあの心地よい乾きぶりがない。
 きみはひょっとしてムード歌謡か、という感じだったので、映画チャンネルに切り替えて、ちらちらその画面を見ながら、執筆。(それにしても、ムード歌謡とは、たとえが古いですね。ふひ)

 いま散髪にも行く時間がないので、頭はボサボサ。
 ボサノバは聴かずに、ボサボサ頭をふりふりのお仕事。

 独研から会員制で配信しているレポートは、ニューヨーク時間の日曜の夜明け前に、踏ん張って2本を書きあげ、東京の独研本社に送ってありました。
 ぼくが機内にいるあいだに、2本とも配信されたわけです。

 おかげで安心して、機内の後半では、短編小説の仕上げに、ようやく取りかかれました。
 この小説の脱稿は、あと数日が、勝負。執筆に割く時間がほとんど取れなくても、勝負。
 ちなみに、ボサノバの代わりに、ちらちら見た映画「Killing them softly」の人間の描きぶりが、不思議なほど参考になったりしました。オモシロイご縁は、人生のそこらじゅうに転がっていますね。


▼ところで15日金曜の昼に、横浜高島屋でおこなうトークショー(ニッポン放送の生放送番組「ザ・ボイス」の飯田アナとのトーク)で、サイン会も行えることが決まりました。
 これは嬉しい。
 つまり、サインだけではなく、ご希望のかたには握手、そしてハグもできるということですからね!

 よろしければ、おいでください。待っています。
 詳しくは、この下の方の書き込みを見てください。


*写真は、1枚はニューヨークのジャズクラブ。
 深夜11時から演奏が始まり、未明の2時過ぎまで、聴衆の中から次から次へとミュージシャンが現れて交代し、演奏を続けるという、めちゃ愉しいスタイルでした。
 ぼくは、それを目と耳の悦楽にしつつ、NYの地ビールを呑みつつ、モバイル・パソコンの画面をいちばん暗くして、キータッチの音も出さないように撫でるように指を動かして、独研から会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の執筆です。
 この写真でステージの一番左にいる黒人シンガーが途中、ぼくのテーブルに寄ってきて、ぼくの耳元に頭を寄せて「何を書いているんだい。あんたの執筆もスイングするかい」と、ささやくように話しかけてきました。
 ぼくは「素晴らしいジャムセッションのおかげで、筆も進むよ」と答え、念のため「テーブルでパソコンを開いていると、気になりますか」と聞いてみました。
 彼は「とんでもない。お役にたてて嬉しいよ」と答えてくれました。

 あと2枚は、セントラルパークに棲んでいる、りすです。
 動作も何もかも繁子(東京でお留守番のポメラニアン)に似ていたので、思わず「繁子」と呼んでしまいました。ふはは。
 あほな話ですが、りすさんは、まるで繁子みたいに顔を上げて、ぼくを正面から見たのでありました。
 2枚のうち1枚は、それですね。

あちゃあ




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▼この3月のあいだに、つまり今月の月末までに、新しい本が書店に並びます。
 かつて、ぼくの名前が表紙にある本が初めて出たのは、対談本でした。
 今回は、それに続く、ほんとうに久しぶりの対談本です。

 本のタイトルは、「青山繁晴、反逆の名医と『日本の歯』を問う」(ワニ・プラス)。
 え? 日本の歯? 歯ですか? は?
 …なんちって、思われた人もいるでしょう。

 これは、ぼくの中高時代からの親友との対話です。
 その親友が今や、日本の歯科治療の常識に真正面から反逆する、新しい治療を押し進める歯科医になっているのです。
 彼の歯科医院には、北海道から沖縄まで、そして海外からも患者さんが集まってきています。


▼対談本を出すのは、正直ぼくにとって苦痛です。
 だから、これまでずっと出していなかった。
 オファーはかなりありますが、すべてお断りしていました。

 なぜか。
 対談をすると、それをテープから起こしますね。
 それが文章化されると、そこに手を入れていくのですが、その方が、自分で一から文章を書き起こすよりも、はるかにはるかに手間も時間もかかるのです。

 これは、ぼくの生き方にも関わると思います。
 ふつうは、対談本をむしろ歓迎する発信者も多いと、出版社からは聞いています。
「対談しただけで本を出せる、みなさん、そう考えるのですよ」と、あるベテラン編集者は明かしてくれました。
 しかし、ぼくは、対談しっぱなしで、後を人に任せたりしません。

 プロの物書きなんだから、それが当たり前だと思います。
 一からどんどん書き進めていくより、既に文章化されている言葉にあとから手を入れるのは、ほんとうに苦しい作業です。

 しかし、今回はありのままに申して、わが親友と、それから間違った治療で苦しんでいる沢山の患者さんのために、ひと肌脱いだというのが本音です。
 ぼく自身は、両親のおかげで歯が生まれつき丈夫で、歯の悩みはありませんが、歯で悩む人は周りでも少なからず見ます。

 そして、この対談が進めば進むほど、思わずぼくが「あちゃあ」と叫んでしまう衝撃的な事実が、てんこ盛りに出てきました。
 したがって、この新しい本には「アチャア〜」という、ぼくの変な叫び声が、かなり出てきます。
 それは、ちょっと恥ずかしいけど、そのままにしました。
 だって、実感だから。だって、事実だから。

 大切なことは、わが親友が、そのショッキングな事実に対して、ちゃんと歯科医師の良心をもって、かつ謙虚に臨み、彼なりの解決策を考え、それをたった今、実行しているということです。
 対談を通して、少年時代からの友だちに、あらためて深い敬意を抱いたのも、うれしいことでした。


▼ただね、この対談の記録に手を入れる作業のために、ぼくの過密日程は、余計にひどくなりました。
 先週の金曜に、ニューヨークに出発する日も、前日から徹夜でその作業を進め、午前6時半に自宅を出なければならないのに、その作業が終わったのは午前6時15分。
 さすがに焦りながら、たった15分で荷物をパッキングし、待っていた編集者に分厚い3種類のゲラを渡し、そして成田空港に着くと、そのゲラの確認をめぐって搭乗時刻のギリギリまで、メールで作業したのでした。

 これも、ありのままに申して、ジェットラグ(時差ぼけ)などの影響を大きくしました。
 ちょっと今のぼくは、頭がぼけすぎ。
 ひとつ下のエントリーでも、「日曜の夜に帰国した」という趣旨がありますが、実際は、「日曜にはもう、ニューヨークで帰国便に乗り込み、機内で半日、時間が経ち、そして昼夜逆転の14時間の時差があるので、成田に着いたときは月曜の夜になっていた」のがホントです。
 
 今朝の、RKBラジオ(福岡)の生放送でも「日曜夜に帰ってきた」と話してしまったと思いますが、事実は上記の通りです。
 あちゃあ!
 アチャア〜。

 みなさん、ごめんなさい。
 お詫びして訂正します。


▼ちなみに、この対談を受けた以上は…ということで、もう一つの話も受けました。
 それは、アベノミクスをめぐる須田慎一郎さん、三橋貴明さんとの鼎談です。
 これも、まもなく本になります。
 いずれ、あらためて詳しくお知らせします。

 写真は、その親友との対談風景です。
 これは出版社から派遣されたプロの撮った写真で、別のひとこまが、新刊書の帯(おび)に載ることになります。



本音、本心



▼3月27日に新しく発売となる、わが親友との対談本、「青山繁晴が、反逆の名医と『日本の歯』を問う」(ワニ・プラス)は、たとえばアマゾンですでに予約がかなり入っています。
 友のためにも、みなさんに深く感謝します。


▼それと歩調を合わせるように、1年3か月にわたって新しい読者が増え続けてきた「ぼくらの祖国」(扶桑社)が、たとえばアマゾンでみると、その新しい読者の増え方が急に減り始めました。

 ぜいたくは言っちゃいけないし、こうしたことは当たり前だし、この出版大不況の時代に1年を大きく超えて読者が増え続けるというのは、ほんとうに感謝です。

 それでも、ここはぼくの個人ブログだから、本音、本心を言えば、「ぼくらの祖国」は、書き手のぼくにとっても永遠の原点の書であり、永く問い続ける書です。
 なにより、次世代の子供たちに問い、その子々孫々とぼくらが一緒に考え続ける書です。

 ぼくは今、久々の小説の仕上げを急ごうとしていますし、この「ぼくらの祖国」、通称「ぼくそこ」の続編にも着手しています。
 しかし、それもこれも、「ぼくらの祖国」オリジナルの存在が消えずにあってこそ、なんですね。
 それと、「ぼくそこ」がもしも、これからスゥーと消えていくと、この書に盛り込んだ硫黄島の英霊のかたがたも、沖縄の白梅の少女たちも、すぅと消されるような気がして、胸を抉られる気持ちになるのです。


▼3月15日金曜のお昼に横浜高島屋8Fで開く、ニッポン放送のトークショーでは、この「ぼくそこ」のサイン会を開くことが、どうにか決まりました。
 今までと同じく、そして今までに増しての祈りを込めて、一冊、一冊に、サインします。

 ご希望のかたとは、男女を問わず、ハグも握手もします。
 どうぞ、よければお出でください。

 …あのー、それとね、きのうのニッポン放送「ザ・ボイス」の生放送中にいただいたメールの中に、「トークショーに行きます! 行けば、青山さんに握手とハグと、それからチューをしてもらえるから」というのがありましたが、えー、男女を問わず、チューはないと思います。
 ちなみに、このメールのかたは、男性のかたでした。わはは。

いま出張先の北陸路で、夜明け前です…

…夜が明けたら大阪に向かい、TV番組「たかじんnoマネー」に参加します。たかじんさんの復帰も、目前です。


▼さて、3月15日金曜のトークショーについて「詳細が決まりました」と、主催のニッポン放送から連絡がありました。
 以下に、ほぼそのままアップします。

〜ニッポン放送から連絡〜

【青山繁晴&飯田浩司 ザ・ボイスそこまで言うか!トークショー】

▽3月15日(金)12時〜13時頃 横浜高島屋8階

▽ニッポン放送うまいもん祭内の特設ステージで
ザ・ボイス そこまで言うか!トークショーを行います。
出演は青山繁晴さんと飯田浩司アナ。参加は無料です。

▽またトークショー終了後、青山さんによるサイン会を行います。
ただし時間の都合により、
サイン会への参加は、当日会場で青山さんの書籍を購入された方、先着50名様限定
とさせていただきます。ご了承ください。

☆サイン会

・3月15日(金)午前10時から、会場内のニッポン放送ブースで、下記書籍の販売開始。

・下記書籍をお買上げの方、先着50名様がサイン会の対象となります。
 お買上げの方一人に1枚の整理券をお渡しいたします。
 サインは本1種類につき1冊までとさせていただきます。
 トークショーの参加に整理券は必要ありません。

・販売書籍
「ぼくらの祖国」(扶桑社)1,680円
「救国 超経済外交のススメ」(PHP研究所)1,575円

〜ニッポン放送からの連絡、ここまで〜


▼そして、担当ディレクターから、おおむね以下のような説明もありました。

「今回、トークショーに(座って)参加できる人を出来るだけ多くしようとした結果、
前回の横浜高島屋の2倍、新宿会場の時と比較してもそれ以上の、200席を確保しました。
またトークショー後の、(すぐまた国内出張に向かわねばならない)青山さんのスケジュールを考えると、
サイン会への参加者は50人が安心できる人数です。
これまで通り、トークショー後に「先着順」でサイン会を運営しますと、
狭い会場の中で200人+立ち見の人が、その50人の枠に殺到することになり、
大変な混乱が心配されます。
そのため、関係者とさまざまに協議した結果、
上記のような運営方法となりました。
ご理解のほどよろしくお願いいたします」


▼今回はサイン会は無理じゃないか、という話が当初はあったなかで、ニッポン放送や横浜高島屋、また運営スタッフのかたがたが、ラジオ番組「ザ・ボイス」のリスナーと、ぼくの読者のかたがたのために頭をひねって工夫してくれた結果です。

 ぼくも、こころをいっぱいに込めて、話し、サインし、握手&ハグします。
 当日、港ヨコハマで、お会いしましょう!


*写真は、最近の繁子です。
「繁子さんの写真がもっと見たい」という書き込み、メールを、ずいぶんいただきます。どちらかと言えば、女性が多いですね。
 そこで、エントリーの内容と関係はありませんが、ちょっとアップしておきます。

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ふたたび成田です



▼そして、再び、ヨーロッパへロケット出張です。
 さすがに日帰りじゃないけど、気分は日帰りです。
 機中も休まず、仕上げが進んでいる小説新作を書きます。


▼むちゃらくちゃらな日程になるのは、関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」、ニッポン放送の「ザ・ボイス」、いずれの報道番組も「休まないで欲しい」という視聴者、国民のみなさんからの求めが、とても真摯(しんし)になっているからです。

 やがて、どうしても1週間を超える海外出張もあります。
 なんとか番組を休まない日程を立てられるときは、躯(からだ)がどんなに辛くても、なるべく帰ってこようと、こころに決めて、日程を具体的に組む役割の独研(独立総合研究所)の総務部にもそのように指示しています。

 先日のアンカーで、番組のエンディングがたった12秒しかなくなったなかで、ヤマヒロさんから「帰ってきますよね」と振られて、「帰ってきます。アンカーのために」と応えたら、「アンカーのためじゃなく日本のために帰ってくるのであってほしい」という書き込みなどをいただきました。
 うーむ。
 これは、意味が違いますね。
「アンカーを休まずに出られるように、日程をごく短くして帰ってきます」という意味です。
 根っこ、すなわち祖国にささやかなりに献身するために、ということが変わるはずもありませぬ。ふひ。


▼さて、メタンハイドレートの世界初のガス化、あるいは安倍総理のTPP交渉参加表明と、大きなニュースも相次ぎましたね。
 いずれも基本的に、メディアでも、講演会でも、ぼくなりの見解を繰り返し、明示していますから、この個人ブログには書いていません。

 ただ今後は、それはそれとして、ちらりと、ぐらいは書いていこうかなとも思っています。


▼きょうの成田も、社有車を自分で運転してきました。
 独研には、運転手さんを雇う余裕がないですから。

 しかし車をドライヴすると、まるで体調がよくなったように、たっぷり眠れたように、疲れが和らいだように、スッとします。
 なかには信じがたいバッドマナーのドライバーも居ますね。車を運転しているかたなら、誰でも、それで嫌な思いもされているでしょう。ぼくも同じです。

 それでも、小学校4年生からなじんだドライヴィング(*合法です。お休みの教習所の中で、教習所も経営していた父に教わりました)は、ぼくに生きる歓びを伝えてくれます。


▼さぁ、早春のヨーロッパへ向かいます。
 まもなく搭乗です。

人生の悦楽



▼午前11時ごろに成田を飛び立って、スイスのチューリヒに着いたのが、日本時間で言えば、深夜零時ごろ。
 13時間たっぷりと、狭い機内の座席に閉じ込められたまま、一睡もせずに、小説新作の仕上げを続けた。

 チューリヒに着くと、レンタカーを借りて、渋滞した市内をそろーりと抜けて、高速道路へ。
 あとは疾駆する。
 いずれも今回、初めて、走る。
 レンタカーを前に借りたひとがロシア人だったらしく、ナビが何と、ロシア語。
 同行している、独研(独立総合研究所)の若手研究員が懸命に言語を設定し直して、みごと、成功。えらい!


▼ご存じのかたもいらっしゃるとおり、ぼくはレーシング・ドライバーでもあるから、肉体的に厳しい条件のドライビングは慣れているので、眠気などはまったく感じない。
 チューリヒからどんどん走り続けて、愉しかった。
 途中、アルプスの雪の山並みや、いくつかの湖も、目を見張るように美しい。

 今回はボルボを借りたけど、この頃のボルボはますます絶品だなぁ。
 以前にスウェーデンの原発へ、テロ対策の調査に行ったとき、白夜のなかを、ひたすらボルボのレンタカーで走り続けた。そのときも高性能だったけど、実は、繊細なレベルで言えば直進安定性に大きな問題を感じた。
 それが、素晴らしい次元で、すっかり解消されている。
 むしろBMWやメルセデスよりも、直進安定性が上になっている感すらある。個体差があるので、いちがいには申せませぬが。
 そして、ステアリングがまるで家具のような独特の味わいで手にすっとなじむ感覚、アクセルレスポンスの鋭さ、いや、おもしろい。

 ヨーロッパ人の車づくりは、このボルボに限らず、BMWもアウディも、そのほかも、ますます熟してきた感が強い。
 うーむ。
 本音はたとえ1年でも、ヨーロッパのどこかに棲んで、サーキット参戦とアルペン・スキーと、執筆だけで暮らしてみたい。

 わが祖国の現況は、そんなことをしている場合じゃないので、もちろん日本を決して離れません。
 今回もあっという間に、帰国するけど、ほんとうのぼくは遊び大好きなので、ヨーロッパ人の車づくりにある、隠し味のような抑えた遊び心も好きだ。


▼スイスは、民間防衛の先進国だ。
 そのために、日本の国民保護法の施行に関連して、何度もこのスイスに入っているけど、今回のように1月に続いてすぐに再訪したことはないし、そもそも、こんな極端な強行日程はさすがに、かつてはなかった。
 いま、スイス時間で午前4時を回った。
 同行の研究員も、短い仮眠のあと、同じ部屋で懸命に、報告書の仕上げを急いでいる。


▼と言うかですね、この研究員が数時間まえに、ホテルの同室で仮眠していて突如、「社長! もう朝の6時半を過ぎました! たいへんです」と叫んだ。
 同じく仮眠していたぼくも、びっくり。
 7時半には、出発せねばならない。さすがに疲れて荷物の整理も何もせずに倒れ込んだまま、ふたりとも仮眠していたから、準備はギリギリになる。

 ぼくは、そう考えつつ、実はいつでも楽観的なので(本職のひとつは危機管理でありますが、おのれの危機管理はしないのでアリマス)、「まだ間に合う」とベッドに居ると、研究員はさっさとシャワーに入っている。
 でも、彼はすぐに出てくるだろう。
 ぼくは、朝風呂に入って血をめぐらせないと躯が動かないタイプなので、さぁ、起きて短時間でも湯に浸かろうと体を無理に起こして腕時計を見ると、午後11時まえ。

 あれ?

 その時計は、GPSの衛星情報を受信して、現地時刻になるから、これがスイス時間のはずだ。
 優秀な彼がなんと、日本時間と間違えたのだ。

 ふはは。
 ということはね〜、出発まであと、何時間もあるじゃん。
 仕事もできる、朝風呂も入れる。
 こりゃ、うれしい。

 研究員の、彼にしてはまことに珍しい思い違いがなければ、下手をすると、ふたりともそのまま寝こけてしまって、仕事もできず、準備もできなかったかもしれない。
 思い違い、さまさま。
 こういう誤算がね、人生の悦楽なのです。





*ところで写真は、まったく関係のない繁子です。
 繁子の手が届かない海外へ出ると、よけいに、もっともっと大切にしてやらないと、と思う。
 だからアップしちゃいます。

 国内でスイスのように美しい自然のあるところへ、これも無茶日程ではあったけど、繁子を散歩に連れて行ったときですね。
 ほんとう、嬉しそうな顔をしています。
 ぼくと一緒の写真では、耳がなくなっちゃってます。


 

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ふひ



▼みなさん、いま3月20日水曜日、春分の日の未明3時。
 大阪にいます。

 ぼくが日本に戻っていることを知ったインディペンデント・クラブ(IDC/独立総合研究所の会員制クラブ)の、ある女性会員から「スイスの高速道路を走っているんじゃなかったんですか。忍術ですか?」という面白いメールをいただきました。
 ふはは。同感です。おまえはヘボ忍者か、と自分でも思います。

 要は、先週の土曜の夕刻にチューリヒ国際空港に着き、月曜の午後にはもうチューリヒから日本へ飛び立ち、火曜の朝に成田に着いて、その同じ火曜の夕刻に羽田から再び飛行機に乗って、大阪に来たのです。


▼もうちょっと具体的に振り返れば、3月16日土曜の早朝に、都内から社有車を運転して出発、成田から、日系のエアラインより安い欧州の航空会社のフライトに乗って13時間、安いだけあってサービスの欠陥も数多い機内に閉じ込められ、日本時間の日曜未明、現地時間の土曜夕刻に、チューリヒに着き、すぐレンタカーを駆って都市の渋滞やら山間部の高速道路やらを移動し、そして月曜の早朝に、再びレンタカーを駆ってチューリヒに戻り、午後いちばんの便に乗り、再び、困ったちゃんのプア・サービスに呆れながら機内で小説の仕上げを続け、火曜の朝に成田に着き、社有車を運転して都内に戻り、同行していた若い研究員は自宅へ戻して休ませ、ぼくは仕事をちんたらやって(反省。集中力が足りなかった.意志が弱い)、夕刻には社有車を運転して羽田へ向かい、そこから再び飛び立ち、伊丹に着くと、そのまま午後8時近くに大阪市内の関西テレビに入り、水曜アンカー(報道番組「スーパーニュース・アンカー」の水曜日バージョン)の「青山のニュースDEズバリ」コーナーのために番組スタッフやキャスターと議論をして、へとへとで大阪市内の定宿ホテルに入りました。
 そして今ちょこっと、このブログを書いたら、短時間ながら仮眠をして、朝になると、RKB毎日放送(福岡)の「スタミナ・ラジオ」の「インサイド・ショック」コーナーの生放送に電話で参加し、そのあとアンカーのための情報収集を続け、いくらか頭の整理もして、夕刻に関西テレビに再び入り、アンカーの生放送に参加して、すぐに伊丹から夜のフライトに乗り、羽田へ戻っていき、羽田から社有車を運転して、まぁ無事に生きていれば、都内に戻る…というわけであります。

 みなさーん。
 きょうは春分の日で、お休みですって?
 ぼくも、やすみたーい!

 けどね、きょうの夕方、アンカーの生放送でお目にかかりましょう。

今日(3月25日)から…

…新刊書が、主な書店に並び始めます。
正式には、3月27日の発売ですが、2日間、先行して並ぶ書店があります。

これは、ぼくが中学・高校時代からの親友の歯科医さんと対談した本です。
彼は、医学部の受験失敗という挫折をむしろ活かして、歯医者さんになり、そして既成の歯学界との戦いを宣している男です。
ぼくの読者、視聴者には、なぜかお医者さまも多く、そのなかに歯科医のかたがたも少なくありません。きっと反論も沢山あるでしょう。
そうしたみなさまにも、ひとつの問題提起として、手にとってくだされば、あるいは目を通してくださればと思います。

最初は、対談だけの予定でしたが、各章ごとに、ぼくのエッセイを書き込みました。いずれも新しいエッセイです。
ちなみに、プロの科学者である青山千春博士は、「社会科学書と、文学書は、原則として読まない」という主義で、ぼくの書物をこれまで1行も読んだことがないというのが、彼女のオモシロイ自慢話(?)だったのですが、この新刊書に関しては「社長(ぼくのことです。独立総合研究所社長としての、ぼく)の中学時代の愉しい写真がいっぱい載っているので、ついぱらぱら見ているうちに、あのエッセイは全部、読んでしまいました。読みごたえがありました!」とほざいて、いや、申しておりました。

よろしければ、どうぞ。
この新刊書には、映像のサービスという新しい試みも付いています。

▼書名  青山繁晴、反逆の名医と「日本の歯」を問う
▽副題  歯みがきしても歯を失う!
▼出版社 ワニプラス

春らしく?ちょっと盛りだくさん



▼いま、水曜アンカー(関西テレビの報道番組)から帰京しての木曜未明、午前2時すぎ。
 ああ、ああ、めちゃ眠い。
 この頃ずっと、また徹夜、徹夜が続いています。
 日中も、土日を含めて早朝から烈しいスケジュールなので、さすがに、ちと疲労を感じますね。

 徹夜のわけは、そもそも年度末はシンクタンクにとって、報告書や論文をすべてまとめるべき地獄の季節だということがあります。
 ぼくは独立系シンクタンクである独研(独立総合研究所)の代表取締役社長・兼・首席研究員ですから、すべての報告書、論文について最終責任があります。
 そこに加えて、もの書きとしても、最近、対談本や鼎談(ていだん)本の原稿直し、ゲラ直しに追われているからです。

 対談本は、きのう3月27日に発売日を迎えました。
 中学・高校時代からの親友である歯医者さんと対談した、「青山繁晴、反逆の名医と日本の歯を問う」(ワニプラス)という書です。
 対談だけじゃなく、ぼくの書き下ろしたエッセイが沢山と、この親友が保存してくれていた中学時代の写真が沢山。
 すでに買って読んでくれた人からは、「歯の治療についての真実にも驚いたけど、あのエッセイと、写真をすごーく楽しみました」という感想が届いたりしています。


▼この対談本のサイン会も、何度かやります。
 たとえば4月25日の夜に、東京・神田の大型書店で、ミニ講演会とサイン会をやる予定が固まりつつあります。(書店名を書くと、これまでの経験からして問い合わせがめちゃ来てしまい書店がマヒしたりするので、決まるまで待ってくださいね)
 これは、ほんの一例で、もちろん関西を含め、いろいろやる予定です。


▼さて、その次にたった今、原稿直しに取り組んでいるのが、三橋貴明さん、須田慎一郎さんという、いずれも経済分野のすぐれた論客とアベノミクスについて鼎談した本です。
 こちらは小学館から、この春に発刊されます。
 タイトルは「アベノミクスは富国強兵か」(仮題)。

 これはとても本格的な論考、論戦の本なので、原稿の直しがたいへんだけれど、作業をしていて、なにか新しい希望を感じているのです。
 それが、ちょっとこれまでにないような、すがすがしい新しい気分なんだなぁ。
 長時間、何度も鼎談してくれた三橋さん、須田さんに、感謝しています。


▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)も、発刊からもう1年と3か月以上が経って、ついに衰えるかと思ったら、また読者の数が盛り返してすこしづつ増えていて、これがやっぱ、いちばん嬉しいかな。


▼小説の新作も、じわりじわりと前進していて、これも完成間近。
 前述の鼎談の直しが終われば、一気に、この文学復帰作を完成させ、そのあとすぐに、「ぼくらの祖国」の続編というか新編にとりかかります。


▼ところで、第16回の独立講演会の受付も、もう始まっています。
 独立講演会とは、もうご存じのかたが多いと思いますが、時間無制限で、独研(独立総合研究所)が自主開催している講演ですね。
「時間無制限」はもちろん本気ですが、なんと小学生の受講者や90歳代のかたまでいらっしゃいますから、倒れるひとが出ないように、4時間半をメドにしています。
 過去最長は、6時間半です。そのときも、みなさん、ほとんどのすべてのかたが最後まで参加され、そして、とっても元気でお帰りになりました。敬服します。

 前回は東京開催でした。今回は、関西での開催です。
 早くお知らせしたかったのですが、また、すこし遅くなってしまいました。
 独研(独立総合研究所)の公式HPから抜粋して、下にアップしておきます。


第16回 独立講演会@神戸 (2013年 4月28日 : 申込受付開始しました)

【講演日】
2013年4月28日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 〜 18時00分 予定

【講演内容】
「第二次安倍政権のこれから」ほか。
 質問もいつものように、沢山、あらゆる分野についてお受けします。

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804
「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分

詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5000円 / IDC(インディペンデント・クラブ)会員 4000円

【定員】
300名
※定員を超えた場合、抽選とさせていただきますのでご了承下さい。

【申込期間】
2013年3月25日(月)正午〜 2013年4月3日(水)正午
※申込期間内のみ、申込を受付致します。        

※今回の申し込みは、独研ホームページからのお申込みに限ります。→ ここをクリック
※メールアドレスは、個人のメールアドレスを正確に入力して下さい。
※全ての連絡は、メールにて行います。メールアドレスが間違っていると連絡が取れなくなりますので、ご注意下さい。
※FAX、メール、郵便でのお申込みは受け付けておりませんので、ご了承下さい。

※申込完了後、ご入力いただいたメールアドレスに、申込受付の確認メールが届きますので、必ず確認して下さい。
※確認メールが届いていない場合は、正常に申込が完了していない可能性がございます。
※ご不明な点については、お早めに講演会運営事務局に、メールでお問合せ下さい。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、4月3日(水)申込締切り以降、メールにてご連絡いたします。

【受講票】
ご入金が確認できました当選者にのみ、受講票を記載したメールをお送り致します。
講演当日は、弊社からの受講票のメールをプリントアウトしてご持参下さい。
またお名前が確認できるものもご持参下さい。
IDC会員につきましては、IDC会員カードをご持参下さい。

※受講票をお忘れの場合、入場できませんので、ご注意下さい。
※プリンターをお持ちでない場合は、弊社からのメールを携帯のメールへ転送し、受付で携帯のメールをご提示下さい。

【ご注意】
講演の録音と録画は固くお断りいたします。

【問い合わせ先】

独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独立総合研究所総務部では対応しておりません。
※独立講演会以外の講演については、こちらまで。



たまに嬉しいこともある


▼テレビ番組に参加していると、ぼくの心身に合わないことも、ある。
 その原因の大きなひとつは、テレビの世界は、芸能界の体質で貫徹されているからだ。
 芸能界の慣習、ヒエラルヒー(階層構造)、独特のルールに、テレビ界全体が徹底して貫かれている。

 ニュースや社会派ドキュメンタリー番組をつくる報道部門と、ワイドショーからバラエティ、ドラマ、お笑い番組までつくる制作部門とでは、体質もルールも違うのではないかという推測というか期待を持つ視聴者もいらっしゃると思う。
 ぼくも、そうだった。

 共同通信の記者時代に、テレビ局の記者たちは日々の現場で、身近にいた。
 すると、きのうまで総理番記者だったひとが今日は突然、営業部門に回ったりするのを何度も見る。
 こういう人事は新聞・通信社では、まず考えられないことだから、「テレビは報道といっても、すこし感覚が違うんだな」とは思っていた。しかしそれでも、まさか芸能界のしきたりが報道部門にまで及んでいるとは考えなかった。

 ところが番組に参加するようになってみると、「すこし感覚が違う」どころじゃない。
 まず、生活の手段としてコメンテーターを務めるひとたちは、本職が何であれ、つまり作家だったり評論家だったりしても、その多くのひとが芸能プロダクションと契約したり、関係を持っている。


▼そして番組の司会役(テレビ用語ではMC)には、世間のイメージでは全くそうでないひとでも、実はまるまる芸能界のしきたりに忠実に生きているひともいる。

 もう何年も前に、ぼくも名を知っている著名なプロダクションから「名前を登録していただくだけで、ギャラが格段にアップしますから」という勧誘があった。
 即、お断りした。
 テレビ番組に参加することがあるのは、収入のためではないからだ。
 伝えるべきを、同じ日本国民に伝えることだけが目的だ。

 すると、再び同じプロダクションから「青山さんがテレビ番組のギャラを自分の財布に入れずに、独立総合研究所に全額、入れていることが分かりました。会社の経営安定に役立つのですから、余計にメリットがあるはずです。再考してくれませんか」という誘いがあり、そのときに提示されたギャラの高額ぶりに、たいへん驚いた。
 ぼくの受け取っている番組参加料(ふつうに言えば、ギャラ。出演料)がいかに安いか、芸能プロダクションの傘下にあるかたがたのそれがいかに高いか、勉強になった。
 そしてもちろん即、断った。
「名前を登録していただくだけ」というのも嘘ではないかもしれないが、いずれ、あらかじめ用意された台本通りに発言しなくてはならなくなる可能性もあるからだ。


▼今ぼくは、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」(水曜日)では、おのれの信じるとおりに発信している。
 しかし、この番組でも当初は、とても苦しんだ。

「青山のニュースDEズバリ」という解説コーナーは、前日の火曜に、「何をテーマにするか」などをめぐって、関テレの担当チームと議論する。
 これはやらないわけにいかない。
 なぜなら、ラジオと違ってテレビは映像で見せねばならないから、どんなPJ(プロジェクター画像)、フリップ、動画を用意するか事前に決めておかないと、放送できない。

 その火曜の議論で、ディレクターのうち、もっとも有能なひとりが、ぼくの話す内容や話の順番、テーマを差配しようとする。
 そのわけは、彼なりの熱意もあり、また「高視聴率のコーナーにしたい。そのためには、これがいいんだ」という敏腕ディレクターとしての野心もあったと思う。
 ぼくは、タレントじゃないので、猛然とこれを拒絶し続けた。

 視聴率も、苦労をともにするスタッフ、つまりこのディレクターをも含めたスタッフたちに報いるためには高い方がいいけれど、ぼく自身とは、関係がない。
 高い視聴率で、自分の「出演」を確保するという発想も、必然性も、ぼくには無いからだ。

「このようにやって欲しい」「いや、指示されるいわれはない」というバトルが火曜の夜に、実に4時間を超えて続くことすらあり、しかも、このときは翌日の水曜になってみると、番組の進行表にまったく前夜の議論が反映されていなかった。
 そのディレクターの主張に沿った内容が並んでいて、当時の秘書さん(独立総合研究所・総務部の若き秘書室長だった、アメリカ育ちの女性)がついに関テレに憤激したりした。

 この、しんどいバトルの果てに、今の「水曜アンカー」がある。
 ぼくの本音だけで発信し続けて、それをそのまま、たくさんの国民がみずからの議論のきっかけにしてくださっているおかげだ。
 そして、MCのヤマヒロさん(山本浩之アナ)と利恵ちゃん(村西利恵アナ)がやがて、この火曜の議論に参加してくれるようになり、フェアな立場で発言してくれるようになったことも大きかった。
 ふたりは、関テレのサラリーマンの局アナだけれど、局の立場と言うより、国民の視点からいつも論じてくれる。
 さらに、このおふたりには「芸能界のしきたりに沿って…」という気配が、まるでない。
 テレビの世界では、例外中の例外だ。
 ただし、仕事のお相手が、まさしく芸能界のひとであったり、芸能プロダクションと契約しているとむしろ自慢なさっている気配のひとであったりすると、しっかりと芸能界独特のルール内で、接しておられるところを、目撃もする。
 要は、プロとしてぼくの胸の内をきちんと把握されているということなのだろう。

 そして、いつしか前述の敏腕ディレクターも、ぼくの原則を分かってくれるようになり、火曜の議論は落ち着き、時間もぐんと短縮され、今の水曜アンカー継続に至っている。
 ちなみに、ヤマヒロさんはこの春、独立された。
 芸能プロダクションと契約なさるとばかり思っていたら、「いや、指図されるのが嫌だから、すくなくとも当面は、自分の作ったPHカンパニーという事務所だけを窓口にします」と、おっしゃっている。
 あっぱれ。
(ただし、ヤマヒロさんがいつか芸能プロダクションと契約されても、それはそれ、男ヤマヒロの新しい活動の場と理解すると思う)


▼先日、「たかじんnoマネー」(テレビ大阪)という番組に、たかじんさんが病に打ち勝ってみごと、復帰された。
 凄い意思の力だと思う。あらためて、たかじんさんにお祝いと、敬意を表したい。

 たかじんさんが休みに入られたとき、最初は真鍋かをりちゃんと、番組参加者のうちお笑い界のエースの2人がMCを務めていた。
 しかし、番組スタッフによると、後者のお笑い界のエースが「芸能界の大先輩の代役で緊張してか、本領を発揮できないでいます。彼には、むしろ今まで通り、出演者のひとりという立場で良さを充分に発揮して欲しいのです」ということで、「代わって青山さんにMCを務めてほしい」と要請があった。
 そのときぼくは、『たかじんさんが闘病しているのだから、何でも協力しよう』とすでに決めていたから「分かりました」とだけ、答えた。

 ただ、スタッフには言わずに、その場で、もう一つのことを胸の中で決めていた。
『ぼくはタレント業ではなく、しかも代役だから、なるべくMCらしくないようにしよう。これまで通り、がんがん、他の番組参加者、ジャーナリストであったり経済評論家であったり、そういうひとたちと議論することを中心にして、MCとしては眞鍋かをりちゃんが前面に出るようにして、ぼくは眞鍋かをりちゃんが仮に困ったときに限って、前に出るようにしよう』
 これは、ぼくの立ち位置としては、あまりに当たり前のことだし、当時の番組スタッフにはいささか動揺や悩みも感じられたから、あくまでおのれの胸の中だけに置いておいた。
 そして、ぼくなりに、ささやかに実行した。


▼それから1年と数か月、当初に決めた通りを続けて、そしてついに、たかじんさんがスリムになって見事、復帰された。
復帰第1回の放送でテレビ局に入ると、放送前に、これぞ芸能界風の勘違いの極めつけ、と言うべき出来事があった。
 スタッフも悔いているそうだから、中身は記さない。だけど、いったんは番組参加を中止して、そのまま帰京しようと考えた。

 この放送の収録は土曜日で、独研(独立総合研究所)は社員を週末になるべくきちんと休ませるから、取締役の青山千春博士(取締役自然科学部長)が同行していたけど、彼女はぼくの怒りを知ると、もうさっさとコートを着て、風のように去る備えをしていた。ふひ。

 ぼくは窓の外を見ていた。窓の外には、大阪のさまざまな世代のひとが歩いている。そう、視聴者にとっては、一切が関係ない。番組の内容だけがすべてだ。
 テレビ局で何かあるたび、これを考える。視聴者にいかなる影響も及ぼしてはいけない。

 そこで、すべてを腹に収めて、スタジオに入った。
 この日の収録は、完パケというやつだった。完全パッケージ。生放送ではないけど、収録したVTRの編集はしない。危ない発言にピーという音を重ねることはあっても編集はない、というタイプの収録だった。


▼復帰初日のたかじんさんは、精力的に番組を仕切り、ぼくはその気力に感嘆しながら、なるべく発言を控えた。
 すると、収録も終わりに近づくころ、番組参加者(出演者)の信頼する経済ジャーナリストが「青山さんは今日はあまり喋らないね。どうしたの」とおっしゃる。
 ぼくは内心で『え?そんなの決まっているじゃないですか。今日は何よりも、たかじんさんに大活躍してもらう番組でしょう』と思ったが、何も言わなかった。

 すると、その経済ジャーナリストと、前述のお笑い界のエースが突然、「青山さん、これはチャンスだと言ってたよね」、「言ってた、言ってた」と発言した。
 ぼくは唖然とした。
 そんなことは、放送中はもちろん、放送前後の雑談その他でも、一度も言ったことがない。想像もしたことが無いことを口にはできない。
 なぜ、こんな嘘を言うのか。
 しかも編集のない完パケ収録ということも分かって、言っている。
 しかし、おふたりはさらに「ホントは狙ってたんだよね」「そうだ、そうだ」と続ける。

 これは、言われた側にとっては、どうしようもない。
 当然、「そんなことは言っていない」と声は出すものの、否定すればするほど道化のようになりかねない。
 ぼくは思わず、すぐ横にいた経済ジャーナリストの頭を抱え込んで、手刀(しゅとう。空手の技のひとつ)を振り下ろす動作をした。
 もちろん、実際には頭に当てなかったが、気持ちは一瞬、本気だった。

 なぜ、こんな真っ赤な嘘を言うのだろう。
 視聴者の多くは、ジョークと理解するだろうが、ほんとうにぼくが「チャンス」と言っていたと受け取るひとも少なくないだろう。
 ぼくは哀しくなった。
 1年数か月の、ぼくなりの努力もすこし空しく思えた。

 経済ジャーナリストは、先ほど「信頼する」と書いたように、その地に足をつけた取材姿勢を僭越ながら評価し、そこを信頼し、ご本人から「三橋貴明さんと、青山さんと自分の3人でアベノミクスについての鼎談をやりたい」という申し出があったのを快く受けて、実行し、4月の半ばに出版される。
 お笑い界のエースも、「エース」と書いたのは、もちろん社交辞令じゃない。ぼくはお世辞は言わない。その勉強ぶり、人間観察ぶりを、素晴らしいと思っている。そして、このひとは、わざわざニッポン放送のトークショーを聞きに来てくれたり、ニッポン放送のスタジオを訪ねてくれたり、ぼくの動画をたくさん視てくれていたり、ぼくのつたない発信に関心を深めてくれているひとだ。

 それが、どうして、このたいせつな、たかじんさん復帰第1回の放送で、こんな嘘を言わねばならないのか。
 これが一体、気の利いたジョークにでもなるのか? なりませぬ。

 そしてテレビ局からタクシーで伊丹空港に向かいながら気がついた。
 おふたりとも、芸能界の雰囲気で発した言葉なのだ。
 芸能界では、MCが病気か何かで欠けたりすると、その後釜(あとがま)を狙ってチャンスになったりするのだろう。
 そのことが、おふたりの頭にある。お笑い界のエースは、当然ながらまさしく芸能界のど真ん中のひとだし、経済ジャーナリストも、テレビ番組に参加しているときは、芸能界のなかにいる感覚なのではないか。
 だから、ぼくには、想像もつかない話が飛び出す。

 ぼくは、つくづく、げんなりした。
 このおふたり、経済ジャーナリストと、お笑い界のエースへの敬意と友情は、今後も変わらない。それが、ぼくなりの、ささやかな生き方でもある。
 しかし同時に、こんな世界とは付き合いきれないと思った。


▼さて、この想定外に長くなってしまったエントリーの本題は、実はこのあとなのだ。
 こういう精神状態で最近、テレビ東京の「有吉のバカだけどニュースはじめました」という新番組の収録に参加した。

 これは、有吉弘行さんをはじめタレントのかたがたに、専門家らが政治経済社会のテーマを解説し、「これで分かった」と実感したタレントが、自分で解説することにチャレンジするという番組だ。
 ニュースを分かりやすくするというコンセプトには賛成だから、オファーを受け、そして受けた以上は、キャンセルすべきでないから、かなり沈んだ気持ちながらスタジオに向かった。
 この日、ぼくは遠方への出張から羽田に着き、そこからたいへん遠い「砧(きぬた)スタジオ」に、雨中の渋滞のなか揺れに揺れるタクシーで延々と時間をかけて、収録がすこし始まってしまってから、やっと着いた。それもあって、気分はさらに、沈んでいた。

 それでも、前述したように視聴者には一切、関係ない、視聴者に影響を及ぼしてはいけないという気持ちだけで、本来の目的、すなわち「伝えるべきを伝える」に集中しようと努めた。

 すると、収録も終わり近くになって、思いがけないことが起きた。
 タレントのなかでも、いちばんニュースの理解に遠い役割を演じているようにみえたひとが、わたしたちの祖国の再生に繋がるような、素晴らしい解説をしてみせたのだ。

 ぼくは感激して、ほとんど無意識に、有吉さんに「…(ほにゃらら)を、していいですか」と問いかけた。
 さて、どうしたのでしょう。
 それは、できれば番組を視てください。
 いま4月2日火曜の夜10時近い。
 放送されるのが、今夜の11時58分から、未明0時45分頃まで。(関西では、テレビ大阪)

 もうあと2時間ぐらいしかないから、お知らせにも何もなっていない。
 もっと早く知らせて欲しかったというかたには、ごめんなさい。
 しかし、申し訳ないけど、番宣(番組の宣伝)みたいには、したくなかった。

 放送が終わったら、また、何があったか書きます。
 ただ、ひょっとしたら、その嬉しかった出来事の場面が編集で消えているかもしれませぬ。

博士課程にいるあなたへ


ニュージーランド、オークランド大学化学研究部院生のあなたです。
今朝8時14分にいただいた書き込み、「感動しました」というタイトルの書き込みに、ぼくこそ感動してしまいました。
できれば、実名のまま紹介したいのですが、OKかどうか、書き込んでください。
実名が良くなければ、お名前をどうすれば良いか、教えてくださいね。

日本の力、アジアと世界のための新しい力


▼ご本人から「実名でそのままアップしてかまいません」という趣旨の書き込みがありましたから、下にアップします。
 ぼくが、この書き込みに何より心動かされたのは、この赤木さんがみずからの足で諸国を回られ、そして今、祖国のために新しく歩き出そうとされていることです。

 ゆうべの番組で起きた「嬉しいこと」は、赤木さんが書かれているとおりです。
 その通り、ハイタッチ、ハグと自然に起きて、ぼくはタレントのかたの、すべすべした頭まで思わず抱きかかえ、そして小さく敬礼を致しました。感謝と、敬意と、共感を込めて。


【書き込み/原文のまま】

感動しました
2013-04-03 08:14:09 赤木仁

青山様

過去4年間青山さんのブログを読んできましたがブログへの書き込みは初めてです。

普段喜びや希望を見つけた時の書き込みはあっても、ここまで嬉しさが伝わってきた青山さんの書き込みを見て「これはすごいんだろうなぁ…」と思い、有吉さんの番組をインターネットで探し拝見しました。思わずハイタッチ、ハグそして小さく敬礼(私の見間違いかもしれませんが…)をされる青山さんを見て、感動してしまいました。最初から熱心に解説を聞いていた小峠さん。青山さんの存在をインターネットで知って間もなく、水曜アンカーの詳しい解説に顎が落ちた状態で聞き入っていた私を思い出しました。視聴した方々の中にも「難しいから理解できない」という思い込みを脱する切っ掛けになった方も多いのではないでしょうか。過去の私と同じように。

青山さんのブログや本を読み、参加なさっている番組を視聴し、青山さんの話にでた事のある国々(ポーランド、スコットランド、アメリカなど)を廻る機会もありました。

昭和22年11月8日収録の2回目の「答えて、答えて、答える」(26日放送)にて私の質問が取り上げられた時の事、「頑張れ、仁!気合入れて頑張ってね、仁!」と笑顔で応援していただきました。それから2年以上経ちますが、今月から私の博士課程も4年目に突入しました。あと半年以内に卒業論文を提出予定です。また気を引き締めて最後まで頑張りたいと思います。

提出後は卒業まで日本を廻ろうと思います。少しばかりの募金活動の末、被災地出身の学生たちとも仲良くなり、今まで行きたくても行けなかった被災地を歩きたいと思います。その途中に青山さんの講演会が上手い工合に重なれば、その地まで飛びたいと思います。

それでは、失礼します。

ニュージーランド、オークランド大学化学研究部院生
赤木仁

そして…

…「たまに嬉しいこともある」のエントリーにいただいた書き込みを公開します。もちろん、「非公開にしてください」という記述のないものです。

 他方、この頃はずいぶん減りましたが、中傷誹謗と言わざるを得ない書き込みも、他のエントリーにはあります。
 読むべきじゃないのは読まないし、無視すべきは無視します。ただ、お応えしておくべきものも少数ながらあるので、それはいずれ別途、書き込みます。

「たまに嬉しいこともある」へのコメントは、そのエントリーでご覧くださいね。

(*ちなみに、「MCはマスター・オブ・セレモニーズ」というコメントも頂いていますが、一般的にはその通りです。ただテレビ界には、「メイン・キャスター」のMCとする人もいます。おそらくは誤解からの習慣だと思いますが、そういう解釈をするスタッフもいるにはいます。したがって、ぼくの原文はMCという表記だけに変えました。)

硫黄島から沖縄へ、沖縄からすべての故郷へつながる、ぼくらの祖国

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▼みなさん、いま、大好きな沖縄に向かう機中です。
 ことしの春の烈しい嵐が東上する、そのちょうど逆に西へ向かっています。
 機はずいぶんと揺れています。フライトの揺れには自然に慣れています。成田からロンドンまで十数時間、ずっと揺れっ放しということもありましたね。船とか飛行機に酔うことはないので、機内でふつうに仕事しています。

 さきほどの機長のアナウンスメントによると、たった今の那覇は大雨だけど、このフライトが着陸するとき、ちょうど晴れてくる見込みだそうです。
 みなさん、嵐にどうぞ、お気をつけください。


▼那覇空港には、世界でもっともモラルの高い海空の防衛力である、海上自衛隊の哨戒機や航空自衛隊の戦闘機もいます。
 ぼくは那覇に降り立ち、まだ飛び立つときいつも、こころのうちの深い感謝と敬意を込めて、これらの部隊にちいさく、ちっちゃく敬礼しています。
 もちろん民間機の窓の内側で、そんなことがあるとは、自衛官のかたがたは想像されていないと思いますが。

 こないだ「有吉のバカだけどニュースはじめました」というテレビ番組(ただし実験的な特番だそうです…)の最後に、思わず、小峠さんというタレントのかたとハイタッチし、固くハグしました。
 そして、思わずちいさく敬礼したのも、この那覇でのひそかな習慣がいくらか影響していたんだろうな、と思います。

 那覇から、現実に海上自衛隊の哨戒機P3Cに、独研(独立総合研究所)の研究員たちと乗り組み、尖閣諸島、それから日本の海底ガス田や海底油田を中国が侵食して開発している現場に低空飛行で向かったこともあります。

 中国がいま狙い、今後も水面下で工作してくるのが、「琉球の独立」です。
 中国は分かりやすく軍事占領など、なかなか致しませぬ。
 もともと戦争に弱い国は、外交工作がしたたかです。フランスや朝鮮がそうであるように、中国も巧妙です。
 日本国沖縄県の世論と心理、そして、たとえば県条例のあり方にも工作を続け、まずは琉球の独立という名目で、わたしたちの沖縄県を祖国から切り離そうとするでしょう。
 中国による沖縄支配が万一、始まるのならば、そこからです。

 ぼくは命ある限り、沖縄とともにあり、僭越ながら護り続けます。
 それが、沖縄戦のむごい犠牲のおかげで生きている、敗戦後の日本国民のたいせつな志のひとつではないかと考えます。
 独研もその組織ある限り、沖縄への貢献を目指します。


▼沖縄では、まず「白梅(しらうめ)の塔」にお参りします。
 それは、ぼくなりに30年を超えて続けてきたことですが、今回だけはまったく違います。
実に50人のかたがたと一緒に、花を捧げ、石碑のうえに彫られた、白梅学徒看護隊の少女たちのお名前、それから沖縄第二高等女学校の先生方のお名前を、ひとりひとり清い水で洗わせていただき、さらに、68年前の凄惨な春から初夏の気配を、そのまま残している自決壕に入ります。


▼わたしたちの独研には、インディペンデント・クラブ(IDC)という会員制のクラブがあります。
 いまの会員数(定数)は500人です。
 入会を希望されるかたは、この倍を超えていらっしゃいます。

 だけども、なにせ苦闘千里とも言うべき経営状況の独研ですから、IDCの事務局スタッフは、ごく限られた人員です。
 IDCも謙虚に運営したいので、そのスタッフできちんと対応できる範囲内の会員数に限っています。
(ただ、いずれは定数も増やせるでしょう)

 このIDC会員とは、国会をぼくが解説しつつ一緒に歩き、いま内閣官房副長官になっている世耕弘成・参院議員と議論する会をおこなったのに始まって、さまざまなイベントを遂行しています。
 すべて例外なく、ぼく自身がフルタイムで参加します。
 なかには、ぼくのドライブするレーシングカー(ロータスCUP260)の横に、ひとりひとり乗っていただき、モーター・レースの世界をすこしだけ味わっていただく会も、ありました。
 ぼくは走りに走り続け、最後のひとりまで無事に味わい終わられたときには、新品近かったSタイヤ(レース用のセミ・スリックタイヤ)が4本すべて、寿命となっていました。ふひ。

 今回は、そうした会のひとつとして、白梅の塔のお参りを募集したのです。
 多くの会員にとって近くはない沖縄ですから、どれぐらいのかたが参加なさるかと思っていたら、実に42人が参加されます。
 そこに、白梅学徒看護隊の生き残りである中山きくさん(白梅同窓会・会長)ら4人の、かつての少女たちも加わってくださいます。
 お参りのあとは、この白梅同窓会のみなさんと、IDC会員、ぼくの御一行様で沖縄料理のお昼ご飯をともにしつつ懇談です。
 沖縄と祖国を護ってくださった少女たちと、少女と共にあった英霊のかたがたに、どんなにちいさくとも、かすかでも、報いるために、この会も計画しました。


▼それがあすの日曜日、明けて月曜には、沖縄県の仲井眞知事とお会いします。
 ひとつには、先に天皇皇后両陛下がついに、中山きくさんをはじめ白梅同窓会のみなさんと沖縄で会ってくださり、お花も下賜いただいた、そのことに知事がずっと協力してくださったことへの、魂からのお礼です。

 そして今回は、中国や普天間を含めた安全保障のナマの課題についても、知事とざっくばらんに議論することになると思います。
 防衛大臣の小野寺さんが、まさしく今日、知事を訪ねて普天間などについて話しているそうですが、ぼくの訪問は関係ありません。
 ぼくはあくまで完全に自由な立場で、そして立場の違いを常に踏まえつつ築いてきた個人的な信頼関係に基づいて、知事とお話ししてきます。


▼かつてアメリカ軍は、東京都の一部である硫黄島(いおうとう)を占領した翌朝に、沖縄の慶良間諸島に侵入しました。それが沖縄戦の始まりでした。
 沖縄戦と繋がっているのが、硫黄島の戦いです。

 いまだ故郷に帰れずにいる、およそ1万2千人の硫黄島の英霊のかたがたと、白梅の少女たちにささやかに報いることが、ぼくの、ちいさなライフワークの数々のひとつです。

 その硫黄島に、まもなく安倍晋三総理が初めて、入られます。
 そこで先日、総理官邸に安倍総理を訪ねて、硫黄島の英霊を故郷に取り返すために何が必要か、何が根本かを、話し合ってまいりました。

 第一次安倍政権で、松岡農水大臣が現職閣僚のまま突然、自決なさったその翌日に、ぼくは官邸で当時の若き総理だった安倍さんと昼食の約束がありました。
 閣僚の自害という事態が突発しましたから、当然に中止になると思っていたら、「予定通りに来てください」という連絡がありました。

『こういう時にこそ、外交・安全保障は変わらず冷静にやりたい。だから専門家としての、あなたの話を聴きたい』という総理の、深い決意によって、予定通りに行われるのでした。

 ところがぼくは、日米の話も日中の話も日露の話もせず、貴重な時間の大半を使って、「硫黄島の英霊を取り返しましょう。自衛隊が使い続けている滑走路の下の英霊も取り返しましょう」という話をしました。
 いずれ安倍政権が、野党によってではなく、自民党内の親中派、親韓派、親北派によってこそ潰されることを、ありありと予期していたからです。

 先日にお会いすると、安倍さんは、その時のことを昨日のことのように覚えておられました。
 いくぶんお疲れにも見えました。何もかも総理のリーダーシップで遂行しているのが、第二次安倍政権の現実だからです。「仕事を分担すべきです」と言うぼくに、総理は「大丈夫!」と非常に強い言葉で応えられました。
 その凄まじい激務のなかで、わざわざ今、硫黄島に行かれるのです。
 参院選の票にはほとんどならない、アベノミクスとも関係ない、その硫黄島訪問を今、なさる。

 安倍総理への信任や不信、期待や失望、好きや嫌い、保守やリベラル、改憲に護憲、たくさんの意見と立場と感情の違いが、日本国民に広くあります。
 その違いを、われらのオリジナルな日本型民主主義のためにこそ、あくまで護りつつ、まっ直ぐ真ん中から連帯できるところは、連帯しませんか。


▼ぼくは、扶桑社という出版社が世に送り出してくれた「ぼくらの祖国」という書を、総理官邸でカバンから取り出し、安倍総理のまえで、下手なサインを致して、お渡ししました。

 その書にこそ、硫黄島をめぐる真実のほとんどすべてを初めて、書き込んでいるからです。
 安倍さんは、にっこりと笑って、「確かに受け取ります」と、通称「ぼくそこ」、あるいは通称「赤本」を、受け取られました。

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(↑ 再掲の写真ですが、まさしくIDC会員が撮って、送ってくださった「沖縄の青空の下の、ぼくそこ」です。この場所は、沖縄戦の激戦の跡です。そして、この撮影された女性会員もまた、日曜日の白梅へのお参りに参加されます)





*そして冒頭のちいさい写真は、那覇に着いた直後です。
 確かに雨はあがっていました。
 白梅の少女たちにお参りをする日曜には、きっと明るい陽の光も差すでしょう。天よ、ありがとうございます。

 指さす先には、沖縄の県花、デイゴの花が咲いています。携帯電話の写真ですから、見にくいでしょうが、1年に1度だけ咲く、豊かな深みのあるオレンジ色の、花です。
今日は土曜日、知事にお会いしたりするのは月曜なのにスーツを着ているのは、羽田空港に向かう前の早朝、コメント収録があったからです。日曜の朝に放送される「新報道2001」(フジテレビ)です。
 中国経済について考えるまま、知るままに話しました。編集で、もちろんたいへん短くなると思いますが、放送はされるでしょう。

 さっき那覇空港で車を待っていたら、なんと、関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」のコメンテーターのおひとりに声を掛けられました。「普天間問題でロケに来ました」とのこと。関テレのクルー数人もご一緒です。
 あれ? このごろアンカーは予算がないということで、どんな現地取材の提案をしてもロケをぼくは断られているのにナァ。
 近くでもまったく駄目、ということだったのに、ここは沖縄です。
 どんなに志ある企画でもまったく駄目、ということでもあったのにな。
 テレビの世界はどちらを向いても、不可思議なことだらけ。
 同行している青山千春博士は、さっさと敏腕プロデューサーに電話して「事情が変わったんですね」と聞いていたけど、それへの答えは彼女も、伝え聞いたぼくも、さっぱり分からなかった。皮肉とかじゃなく、ホントに分かりませんでした。
 テレビはやっぱり、そのインナーサークルの人たちだけでやる世界、かな。

 とにかくロケ、頑張ってください。頑張れ、アンカー。

 天は晴れ間もくださるし、こんなオモシロイ、しかし逃れられない偶然もくださいます。
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