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Channel: ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ(31DEC14まで/新ブログshiaoyama.comに移転済み)
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あんまりにも、びっくり

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▼東京の都心に、ある良心的な若手の和尚さんのいるお寺がある。
 お坊さまに、若手、という表現はちと、変かな。
 でも、実年齢は知らないけど、さらりと気負いなく戦っている、気さくなご住職で、まさしく「若手の和尚」さん、という感じなのだ。 

 先日、そこのお寺で、檀家さんたちや、和尚さんのお知り合いのみなさんを相手に、つたない講演をした。
 和尚さんのご依頼は、「硫黄島の英霊や、沖縄の白梅の少女たちの話をしてほしい」ということだったから、ぼくは話し始める前から、すごく嬉しかった。

 福島原子力災害が始まってから、みんなの不安に応えるためにも、話さねばならないことが増えすぎて、どの講演会でも、硫黄島の英霊のかたがたや、沖縄の白梅学徒看護隊の少女たちのことを話す時間が、まともに取れなくなって、胸のうちで、とても苦しかった。

 だから、この若手の和尚さんの注文が嬉しくて、当日は、ぼくなりに懸命にお話をした。
 司会は、なぜかインディペンデント・クラブ ( IDC/独立総合研究所に事務局のある会員制クラブ。ぼくと一緒に国会を訪ねたり、雪上集会といってスキーをしたり、いろいろな機会で一緒に勉強したり、考えたり、心と体を鍛えたりするクラブ )の女性会員の Y さんが務めてくれた。
 この司会も素晴らしかった。Yさんは、わざわざ名古屋から来てくれた。最前列で、たくさん涙して、ぼくの、うまくもない話を聴いてくれた。
 そして、若いひとから、働き盛り、高齢のかたまで、みなみなさまが、心を開くと言うより魂を開くように、熱心に聴いてくださった。


▼きょう、ニッポン放送のラジオ生番組「ザ・ボイス」に参加するために社有車の運転席に座ろうとしたとき、独研(独立総合研究所)の総務部から「あのお寺から、来年もお願いしますと依頼がありましたよ。来年は、チベットの話も頼みます、ということでした」と聞いた。
 ぼくは、若手和尚さんの心意気を感じて、また嬉しかった。

 すると、総務が「それで、社長、講演料なんですが…」と口に出した。
 ぼくは、すこし驚いた。

 なぜか。
 独研の総務が、講演料はいくら、などといったことを、ぼくに伝えることはまず、ないからだ。
 それは、講演を望まれるかたたちが、独研の総務部と調整することだ。そこで調整が完了することだ。
 ぼくの財布には、講演料を1円も入れない。すべて独研に入れて、メタンハイドレートの調査研究費をはじめ、独研の運営資金にする。ぼくはとにかく、講演料の多寡 ( たか/多い少ない )にかかわらず、全身全霊で講演するだけだ。

 どうして、今日に限って講演料の話をするのかと思ったら、その続きを聞いて、ぼくは仰天した。絶句した。
 このお寺での、ことしの講演料と、来年の講演料の両方を、総務は教えてくれたけど、来年が、もの凄く高くなっている。
 独研にとっては最高にありがたいことだけど、いったい、なぜ。

 すると総務は「ことしは、このお寺は、講演仲介業者を通して、依頼してこられましたね。独研は、講演仲介業者には一切、頼んだりしていないことをお伝えしたので、来年については、直接、独研の総務部に言ってこられました。つまり、高くなった差額が、どうも業者に渡っていたようです」
 その「差額」、すなわち、おそらくは仲介手数料というやつの高さに、ぼくは心の底から驚いた。あんまりにも、びっくり。


▼お寺の経営は決して楽じゃないでしょう。
 ぼくに講演を頼むには、独研の公式HPにあるフォーマットに書き込んで送信するだけだ。ここです。
 仲介料など、1円も、1銭も、かからない。

 講演仲介業の方々の仕事を邪魔するつもりは、ゆめ、ありませぬ。
 それはそれで、どうぞ頑張っていただきたいと思う。
 しかし、そのビジネスは、講演仲介業者と契約を結んでいる講演者とご一緒に、なさるべきでしょう。

 ぼくも、独研も、講演の仲介を頼んだことは一度たりともないし、これからも、決してない。
 社長のぼくの講演だけではなく、自然科学部長の青山千春博士の講演であっても、まったく同じだ。

 講演を望まれる、あるいは検討されているひとが、ぼくの名前を検索すると、自動的に、特定の講演仲介業者のサイトに飛ぶようになっている例もある。
 そして、そのサイトでは「当社の講師一覧リスト」なんてのがあって、ぼくの名前が、一切なんの連絡も了解もないまま、まったく勝手に、載せられていたりする。
 これは、すこし行き過ぎではありませぬか?
 ぼくは、お抱え講師じゃない。
 ぼくらは、何のしがらみもないから、「独立」総合研究所なんです。


 講演を望まれる個人や会社などなどで、ふだんの講演仲介業のかたがたとのお付き合いとか、あるいはお金が余っている?とかで、どうしても講演仲介業者を通したいというかたがたは、もちろん、それでまったくOKです。
 講演仲介業者から話が来たから断る、なんてことはしません。わたしたちは、何も分け隔てはしません。先ほども言ったように、講演仲介業者のお仕事の邪魔も、しません。

 しかし同時に、どうぞ、自由に、いつでも、独研に直接、言ってきてください。
 常に、どなたにも、窓を開いています。
 上記の申し込みフォーマットに書き込んでいただくだけです。



サンフランシスコへ向かう前に

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*日々の点描 オン・ボード その1

【西暦2012年/平成24年/わたしたちの大切なオリジナル・カレンダー皇紀2672年12月2日・日曜】

▼気がつけば、未明3時過ぎ。仕事の電子メールに最低限の返答をしているだけで、もう、魔物の時間だ。
 いつの間にか仕事の範囲が想像を超えて広がっているから、国内と海外からやって来る、お仕事メールはジグソーパズルのようだ。なんとなく宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思い出す。
 もちろん、「注文の多い料理店」の中身は関係ない。タイトルからの連想だけ。

 小学校の低学年から高校を卒業するまで、日本と世界の童話という童話を読み漁った。
 中学の頃、童話には大きく分けて、ヒューマンなものと、幻想の世界のものと、ふたつあると考え、「両方とも好きだけど、ぼくはヒューマンな作品の方がもっと好きだなぁ」と思った。
 ところが、宮沢賢治の作品群だけは読めば読むほど、幻想的で、テーマが良く分からない作品のほうが、好きになった。その代表のひとつが、「注文の多い料理店」だった。今でも、山猫がドアの小窓から覗いている挿絵をありありと思い出す。

 メールへの回答だけで時間が過ぎるのはちと、がっかり。ぼくは、もっと書きたい。メールへの返答は欠かせないから、もっと集中力を高めるしかないなぁ。


▼うとうとと、少し仮眠すると、もう朝。
 独研(独立総合研究所)総務部の秘書室第2課(同行担当)の YO 秘書がやって来る。
 独研は、週末には社員を休ませる方針だから、ふだんの日曜出張は、取締役の青山千春博士(自然科学部長)が同行する。
 だけど今週は、サンフランシスコで例年通りに開かれる、世界最大の資源・地球科学をめぐる学会のAGU(American Geophysics Union/地球物理学連合)が迫っているから、青山千春博士は独研・自然科学部長として論文の仕上げに忙しく、とても同行は無理。
 そこでYO秘書の出番になった。彼女はもう事前に、振替休日をとっている。

 ロータス・エリーゼを運転し、Y秘書と品川駅へ。
 新幹線で京都へ。
 車中は、ぼくもY秘書も品川で買った駅弁を楽しんで食べてから、、仕事、仕事。
 ことしのAGUでは、独研は、ぼくも含めて3人が発表する。ぼくは英語で口頭発表をする。だから準備を急ぎたいけど、まずは、出発前に次から次へと講演をこなさねば。
 京都からタクシーで滋賀県の高島市へ向かう。

 懐かしい琵琶湖の水面(みなも)が穏やかで、山の紅葉も美しい。
 共同通信の京都支局時代に、よく琵琶湖に来た。
 共同通信の夏の保養所に両親を招待したら、母は「暑くて寝られない」と文句を言いつつ笑っていた。繊維会社の社長だった父は、「まぁ、こんなもんだろう」と言って、さっさと寝息を立てていた。
 母は、現在はぼくたちが介護し、たった今は入院中だ。父は、現役の社長のまま、医療ミスで急逝した。
 ぼくの心身を強く生んで、育ててくれた父と母。顧みても、顧みても、父を喪ったことを心の底で諦めきれない。

 次第に高島市が近づいてきた。
(続く)

サンフランシスコに向かう前に (続)

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*日々の点描 オン・ボード そ の2
【12月2日・日曜 続き】

▼琵琶湖畔の高島市(滋賀県)に入り、講演会場の前で、タクシーをY秘書と降りようとすると、陸上自衛隊の将校が出迎えてくれた。
 この街には、戦車大隊がいる。第3師団と第10師団の精鋭だ。きょうは、その基地(今津駐屯地)の設立60周年と、「あいば野自衛隊協力会」40周年の記念すべき日に、招かれた。
 会場には、高島市の西川市長と、ふつうの市民も沢山いらっしゃる。自衛官は、婦人自衛官もとても多く、内心で応援エールを送る。
 自衛隊の司令は、独研(独立総合研究所)で研修を受けた自衛官が就任なさっている。凜々しく、そして、穏やかだ。
 いつものように舞台から飛び降りて、みなさんのなかを歩きながら、ぼくなりに懸命に話す。


▼前半は、やはり自衛隊のあり方をめぐることに、重点を置いた。
 たとえば、この総選挙で、野党第一党が「憲法を改正し自衛隊を国防軍にする」と公約した。
 それを見て、多くのマスメディアと、それから政治家が「自衛隊の名前を変えること」の是非を声高に語っている。
 名前を変える?
 名前を変えるために憲法を改正する?
 それが争点?

 まさか。


▼世界の主権国家の防衛力、軍事力に何があるか。
 それはネガティヴ・リストだ。
 将兵は、国民と国家を護るためには、いつでも何でもやらねばならない。制服を着用して任務に就いているときも、制服を脱いで休暇で故郷に帰っているときも。
 そのうえで「これだけはしてはならない」というリストを持っている。たとえば、もはや降伏して捕虜になった敵兵を傷つけたり、殺害してはならず、虐待も許されない。戦わざる市民や難民への攻撃も、できない。ジュネーヴ条約とその追加議定書にあるとおりだ。

 ところが、世界で自衛隊員だけが、これと真逆なものを持たされている。
 それはポジティヴ・リストだ。
 すなわち、「これだけは、してもいいよ」リストなのだ。
 防衛省設置法とか、自衛隊法とかに盛り込んである条項だけ、行うことができて、たとえばイラクに派遣された自衛隊員は、そのときだけ通用するイラク特措法がさらに加わって、そこにある条項だけ行うことができた。

 新潟の海岸近くで、13歳だった横田めぐみちゃんが北朝鮮の工作員に襲われているとき、休暇で帰っていた自衛官がたまたまその現場に遭遇したとする。
 もちろん、実際にはそうした自衛官の遭遇はなかったのだが、仮にそれがあったとして、自衛官が工作員を素手で倒し、めぐみちゃんを護り、めぐみちゃんは北朝鮮に拉致されることなく、その後も日本で中学高校、そして大学を卒業し、望んだ仕事に就き、幸せな結婚もし、子育てもしたとして、一方で北朝鮮工作員が倒れるときに、たまたま後頭部を打って死亡したとすると、自衛官は、少なくともいったんは殺人容疑で逮捕され、裁かれることになる。
 日本以外の諸国では、この自衛官はヒーローになるが、日本では、刑法犯である。
「休暇中でも、かつ防衛出動が閣議決定されていないときでも、自衛官は国民が危機にあれば国民を救う」ということが法に盛り込まれていないので、つまり「これだけは、してもいいよ」リストに載っていないから、救ってはならないのだ。
 この事実があるからこそ、北朝鮮の工作員たちは、やすやすと多くの日本国民を日本の領土内で拉致していったのだ。


▼また、たとえば自衛官がイラクの地でテロリストに向かい合い、テロリストがRPG7というロケット弾を発射しているさなかに、自衛官は「えーと、これは反撃して良かったんだっけ。やってもいいよリスト(ポジティヴ・リスト)に入っていたんだっけ?」と自問自答せねばならない。
 笑い話ではない。

 実際に、イラクに派遣された自衛隊の宿営地には、何度もロケット弾が撃ち込まれた。
 自衛官が死ななかったのは、偶然に過ぎないし、自衛官たちは、ロケット弾を撃ち込まれながら、反撃することを許されなかった。だから何度も撃ち込まれた。
 独研(独立総合研究所)は、自衛隊幹部学校から研修生を毎年、ふたり受け容れている。
 その研修経験者も、イラクに派遣された。
 ぼくは、彼らの出発前に、いったん、別れの水盃(みずさかずき)を交わした。
 上記のような恐ろしい真実があるからだ。

 ぼくは、敬愛する自衛官たちがイラクに入る前、すなわち戦闘下のイラクにひとりで入った。
 そして、この戦地に「ポジティヴ・リスト」、すなわち「してもいいと厳密に(いや、ほんとうは形式的に)指定されたことだけしかできない」というリストを背中に背負わされた自衛官を送り込むことの無茶ら苦茶らぶりに、寒気を覚えた。

 まったく非武装の民間人のぼくですら、イラク戦争で少なくとも三度、間近な死に直面した。
 自衛隊は武装している。テロリストも、諸国の軍も、まさか日本の将兵だけ、世界にただひとつの奇っ怪なリスト、現実離れした制約を背負っているとは夢にも思わない。普通の将兵と同じように見なして、攻撃もすれば、助けも求めるのだ。

 諸国の軍の、たとえば佐官といった高級将校や将軍のなかには、自衛隊の想像を絶する不可思議な実情を知っている人も、稀には、いる。
 しかし、前線の将兵は、そんなこと知りゃしない。
 ましてや、テロリストは、委細かまわず、攻撃してくる。


▼憲法を改正し、自衛隊を国防軍にするというのは、上記のような、あまりに愚かしいことを正して、日本の防衛力に国際法に基づく、正当そのものの権利を付与し、それによって、二度と自国民が北朝鮮の工作員ごときに拉致されて人生を奪われないようすることだ。
 名前を変えることじゃない。

 あるいは、自国の領土に韓国の大統領や警備隊という名の侵略兵や、自国の領海に中国の偽装漁船や公船という名の海軍偵察船やら、それやこれや無法の輩(やから)が不法に入ることを、もはや許さないということにも繋がっていく。

 マスメディアも政治家も、争点をすり替えるな。
 わたしたち有権者こそは、核心をそらさずに、真っ直ぐ考え、議論し、投票したい。

 ぼくは、かつて青年会議所(JC)の憲法セミナーで講演したあと、JCの諸君との懇親会で乾杯を頼まれたとき、思わず、「おれたちの憲法はおれたちで創ろう!乾杯」と叫んだ。
 青年たちは、どっと喝采し、口々に「そうだ!」と声をあげ、ぼくは日本国が前へ進む予感がして、こころの底から嬉しかった。
 こういう立場の有権者も、そして、現在の憲法を一字一句変えるなという立場の有権者も、「国防軍の公約」を機に、活き活きと議論したい。
 その機会を奪おうとする、すり替えは、最低だ。


▼…といった話をしてから、拉致事件をどうやって解決するかの問題提起や、メタンハイドレートをめぐる希望のことを話したりしているうちに、どんどん時間がなくなり、とうとう「この時刻に会場を出ないと、新幹線に間に合いません」とY秘書から言われていた時間を、過ぎてしまった。

 それでも、硫黄島の英霊のかたがたと、沖縄の白梅の少女たちのことも、たとえ一言二言でも話したかった。
 わずかながら、それにも触れて、ようやく講演を打ちきって、いや終えて、タクシーに飛び乗ったとき、Y秘書の口から「もう、どうせ間に合いません」という言葉が漏れた。


▼そして、以前にもこうやって新幹線に遅れたとき、どれほど、しんどい思いをして東京に帰ったかを、ふたりで思い出した。

 それでも運転手さんは、なんとか間に合わせようと最善の努力を尽くしてくれた。
 しかし、京都は紅葉の季節がまだ続き、日曜の道路は混んでいる。
 京都駅に着いたときは、ちょうど新幹線が発車した、その時刻だった。
 ぼくは足が速いけど、Y秘書も速い。ふたりとも、2分もあれば間に合ってみせると意気込んでいたから、がっくり。
 まぁしかし、駆け込み乗車はいけないしね。

 ぼくは前に、同じように講演を延長したために、名古屋駅で、新幹線のドアに挟まれたことがある。
 とっさに、おのれより、手に抱えていたモバイル・パソコンを護ろうとして手の甲を突っ張ったら、新幹線のドアの力は恐ろしいほどに強く、手の甲の骨が折れるかと思った。
 さすが、猛速で走る新幹線、素晴らしいドアだと感心したけど、すでに車内にいたY秘書は、ぼくが潰されるんじゃないかと本気で心配したようだった。
 もちろん、ぼくが悪い。幸い、ぼくは無事だった。

 そのY秘書は素早く、改札口の係員と交渉し、係員のすすめで、すぐあとの新幹線に飛び乗った。意外にすいていて、ふたりとも、ホッとした。
 Y秘書に「タクシーの運転手さんが責任を感じていたりしてはいけないから、すぐに、問題なく次の電車に乗れましたよと、電話してくれ」と言うと、彼女は、ぼくが言う前から良く分かっていたようだった。
 まだ24歳の若さだけど、苦労して育っているから、人の心が良く分かる。


▼都内の仕事部屋に帰り着くと、もう夜の10時を回っている。
 明日は、福岡のRKB毎日放送テレビの選挙特番の生放送に参加する。
 これも日帰り出張。
 先日からずっとずっと毎日、日帰り出張が続いている。
 すこし体を休めないと生放送のバトルで頭が回らないと思った。

 そのまえに、仕事部屋の洗濯ものを洗わなきゃ。
 それに、まもなくサンフランシスコへ出発し、資源や地球科学、宇宙をめぐる世界最大の学会、AGU(地球物理学連合)で口頭発表するのだから、寝ないで仕事するのなら、その準備を優先させなきゃ。
 しかし、まずは青山繁子、ポメラニアンの繁子ちゃんとすこし遊んであげなきゃ。

 先にシスコに出発した青山千春博士から、「出がけに繁子が、遠出に気づいて、泣き叫んだ」というEメールが届いていた。
 繁子は、ことし夏の暑さでいったん、すこし弱っていたけど、涼しくなってから、元気全開。9歳になっても、子供時代とおんなじだ。
 そこで、仕事部屋を出て、自宅に帰る。
 繁子が飛びついてきて、ものすごいぺろぺろ攻撃。
 しばらく一緒に遊んでから、モバイル・パソコンで、まずは、独研(独立総合研究所)が配信している会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の続きを執筆する。
 繁子は、ぼくの太ももに頭を預けて甘えている。


【12月3日月曜】

▼日付が変わって、次男が久しぶりに帰ってきた。
 美大を出て、いまはゲームの制作の仕事をしている彼は、たいへんに忙しい。けれども、今回も繁子の世話をする当番を引き受けてくれた。

 そこで、繁子を彼に預けて、未明の街を、仕事部屋に戻る。
 TCRの仕上げと、学会準備にかかろうとして、そのまえに郵便物をチェックする。

 その郵便物のなかに一冊の本が入っている。
 なんと、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、みずからの死への歩みを綴った本だ。
 金子さんの奥様が送ってくださった。
 この書は放っておけなかった。
 すぐに手に取り、読み始める。

(続く) *写真は、恐縮ながら、ぼくの足、パソコンのコード、そして繁子

さぁ、「ぼくそこ」を生んだシスコへ …えー、しかし、その前に

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*日々の点描 オン・ボード その3

【12月3日月曜 続き】


▼未明から明け方へ向けて、急逝なさった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、きわめて稀な異種の肺ガンの告知を受けてから、現世を去るまでを、みずから、一歩一歩の足取りを来世へ固めていくように綴られた本を、読み始めて、そのまま最後まで読み終えた。
 金子さんが最後の一呼吸を吸って、もはや吐き出さず、ふっと違う世界へ転じられた、その瞬間は、奥さまが、たとえようもないほど端正な筆致で描かれている。

 誰しも、この書を読むひとは、その生涯を通じて忘れられない本になるだろう。
 金子さん、みんなが読んでいますよ。よかったですね。報われましたよ。これからもずっと報われますよ。


▼明け方に近く、短い仮眠をとる。
 金子さんの本で、夢のなかは、いっぱい。

 ある若い、素晴らしい人材から「ガンの可能性を医師に言われました」とだけ聞いて…その後に音信不通になっているひとがいて、夢のなかで探し続ける。

 ぼくは去年の2月に大腸ガンを手術した。しかしガンはあまりに様々で、おのれの体験から軽々に推し量ってはいけない。ぼくが死に直面したのは、手術のあとの腸閉塞であって、ガンそのものは?期で、その?期のなかでもごく初期だった。

 正直、おのれの今後より、周りのたいせつなひとたちに次から次へと起きるガンの告知や、あるいはガンをめぐる精密検査の決定に、浅い仮眠のなかで、うなされていた。


▼夜明けのあと、おのれの体を励まして起き出し、AGU(地球物理学連合)の発表の準備や、会員に向けて発信しているレポート(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆を続ける。
 そのなかで総選挙をめぐってEメールと電話が、ひっきりなしに繰り返される。

 そして午前11時前、きょうもY秘書とともにロータスで羽田へ。
 羽田から福岡へ向かう。
 ロータス・サウンドが、心身の淀みをきれいにしてくれる。ほんとに好きだな、ドライヴィング。

 夕刻から、RKB毎日放送の選挙特番の生放送に参加(出演)する。
 福岡が本拠の老舗(しにせ)放送局、RKB毎日とのおつきあいは、ラジオ番組への電話参加(出演)は、実は記者時代から続いている。
 今は、毎週水曜朝に、人気キャスター中西さんの「スタミナラジオ」に電話参加している。
 しかしテレビは、これが初めてだ。

 福岡に着き、タクシーで局へ。
 テレビ局というのは、不思議なほど、局によって何もかもやり方が違う。しかしラジオディレクターのSさんが丁寧にアテンドしてくださったこともあって、まったく問題ない。快適だ。

 Sさんとは、こないだ、博多のライブハウスで、ギター・デュオのライブをやった。
 聴衆は、独研の「インディペンデント・クラブ」(IDC)の会員のみなさん。
 聴衆がもう入り口で待ってらっしゃるなかで、初めて音合わせと練習をわずかにやるという無茶ぶりだったけど、ミュージシャンでもあるSディレクターに助けてもらった。


▼さて、生放送が始まると、居並ぶ7党(12党のうち参加は、福岡県で小選挙区の候補者を擁立していることなどの条件に合う7党)の政治家たちと、子育て、景気、金融政策、、メタンハイドレート、原発政策などなどを、ぼくなりに考え、考え、議論した。
 ぼくと一緒に、政治学の泰斗の高名な学者と、サンデー毎日の編集長のお二人が参加されていた。

 番組の最後にキャスターから、「さ、青山さん、今日のまとめを」と問われた。
 街頭インタビューの有権者が、世代を超えて「領土問題」「外交」を総選挙の最大の争点に据えている人が何人もいて、目の前が開けるように明るい気持ちになったことを、ありのままに話した。


▼番組が終わると即、福岡空港に向かい、Y秘書とおいしい博多ラーメンを食べて機内へ。
 24歳のY秘書は、これが福岡初上陸だった。
 あっという間の日帰り出張だけど、楽しそうに仕事をしてくれるので、救われる。


▼帰京して仕事部屋に入ると、今日ももう夜10時を回っている。
 朝までに、AGUで発表する内容の仕上げを終えねばならない。
 遅れたら、AGU事務局への登録ができなくなり、口頭発表がドタキャンになってしまう。

 荷物のパッキングを少しづつやりながら、頭をなるべく自由自在に遊ばせるようにして、発表内容を仕上げていく。
 残念ながら、自宅へ戻って青山繁子、ポメラニアンの繁子ちゃんと触れあう時間はない。繁子当番を引き受けてくれた次男に任せる。
 出国までに、入院中の母を見舞いたかったけど、それも無理。
 ちと、つらい。


【12月4日火曜】

▼ほぼ徹夜のまま、朝9時半に、RKB毎日放送「スタミナラジオ」の収録を電話でやる。
 すこし疲労の影響があって、話しぶりはいつもよりさらに下手だったけど、なんとかリスナーに伝えるべきを伝えようと努める。

 今週は、北朝鮮のミサイル発射準備のために、野田総理の思惑が外れた、という事実を話した。
 総選挙の投票日までに、北朝鮮との「拉致をめぐって再調査」というナンチャッテ裏合意を、表に出して発表する手はずを進めていたのが、北朝鮮の突然のミサイル騒動で潰れたのだ。
この再調査は拉致被害者に有害だから、妙な動きが結果的に避けられたとも言えるし、同時に、拉致事件が総選挙の重大争点に浮上する機会も生まれなかったとも言える。

 収録のあと、耐えがたい眠気をふり払い、おのれを励まし励まし、AGUの発表内容を完成させた。
これで、わたしたちの祖国を資源大国として、アジアと世界に新たに貢献できる国になる道筋の、最初の一本を世界の学者にアピールする試みができる。
 アピールする、なんて僭越なことは申しませぬ。とにかく試みはできそうだ。

 重い荷物のパッキングも終わった。
 さぁ、シスコだ。

 去年12月のシスコは、AGUへの参加とともに、「ぼくらの祖国」をどうしても年内に脱稿せねばならない、年内脱稿ができなければ出版自体が取りやめになるという、ぎりぎりの断崖絶壁のような日々だった。
 ほんとうに苦しかった。刻々、苦しみ抜いた。

 ことしは、それはない。
 ただ、別の見方をすれば、あれからちょうど1年、新しい本を出していないということだ。
 これでは、プロの物書きの名が泣く。
 ことしのAGU出張では、みんなが寝静まった夜中に、小説の仕上げに着手したい。もう7年か8年か、あと少しの仕上げをせずに置いていた短編小説だ。


▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、かろうじてロングセラーの一角に踏みとどまって、読み続けられている。
 先日に、高木健治郎さんという大学の先生が、Eメールをくださり、なんと「ぼくらの祖国」をゼミで使っていますという連絡をいただいた。

「ぼくらの祖国」を教育の現場で活かしてください、という僭越だけど切なる願いを、かつてこのブログで記したら、びっくりするぐらいの積極的な反響があった。

 だけど、実際には、小学校から大学まで、話だけは出て、具体的にはまとまらず実現していない。
 祖国を教育現場で語ることには、まだまだ強い抵抗もあるようだ。
 そのなかの高木先生からの知らせ、疲れがすこし遠のくぐらい、嬉しかった。

 この方のブログには、その詳しい授業内容が、克明に、誠実に記録されている。


▼パッキングのあと、会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」を書き続けていたら、もう午後2時半が近づいてくる
 2時半に出発して、今日は都内の講演に回り、なんと講演をふたつ遂行してから、深夜の羽田に行き、零時過ぎの深夜便で、シスコに向かう。

 ちょっと頭がくらくらするような日程だ。
 中央突破しかありませぬ。ふひ。

都心を駆け抜け、太平洋を越える(*また眠くてフラフラ、誤字が幾つも。それを含めて直しました)

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*日々の点描 オン・ボード その4

【12月4日火曜 続き】


▼午後2時半に、Y秘書とタクシーに乗り込み、東京・蒲田へ。
 ちょっとかわいい感じの地元ホテルに着く。
 メガバンクの主催で、東京大田区の技術力の高い中小企業の社長さんたちが集まってくださっている。
「こいつに何が分かるのか」という感じの?厳しいまなざしから、期待いっぱいの、わくわくなさっている眼まで、どれも真っ直ぐに受け止めて、そして何となく会場の空気を、むしろアットホームに身近に感じて、講演する。

 舞台から降りて、戦う中小企業のかたがたの眼の奥をのぞき込むようにして、ぼくなりに気を込めて、日本経済の新しい希望を、ほんとうに声を枯らして、下手くそなりに語った。


▼後半から、どんどん空気が変わってくるのが分かる。
 いちばん厳しいまなざしだったかたが、いちばん優しい表情に変わられている。
 ぼくは、ぼくよりずっと年長のかたでも、ずっと若いかたでも、関係なく、みなさんの肩をひとりひとり抱きながら、ハグしながら話したい衝動に駆られる。
 中小企業こそ、技術に賭ける志が高い。日本経済の宝そのものだ。ぼくは全身で応援したい。

 次の講演に移動する予定時間を超えて、懸命に話すうち、Y秘書が会場隅で、これも彼女なりに必死にサインを送っている。
 今日は最後に国際線の飛行機の出発時間が迫ってくるのだから、彼女が心配するのも当然だ。
 多忙な社長さんたちが延長時間も含めて、真剣に最後まで聴いてくださったことに、感謝しきれない気持ちで、終了。


▼講演会場から本気で疾駆して、タクシーに飛び乗ると、まずは潰れた喉に、ペットボトルの水を染み通らせる。効果は、ほとんどなし。のど飴も食べる。わずかに効果。
 隣の席のY秘書や、前席の運転手さんに話しかけると、ガラガラヘビのような声になってしまっている。
 ふひ。
 今夜はガラガラヘビの講演かな。あのね、お祭りのお化け屋敷の講演じゃないんだから。

 タクシーは今度は、六本木ヒルズの豪華なホテルに着く。
 ある巨大な投資会社が主催して、年に一度だけおこなうイベントだそうだ。
 機関投資家のなかでも日本を代表するようなところとか、個人投資家でもランキングでトップ級だけを招いて開く、感謝イベントという。

 講演が始まるまえに、名刺交換をしつつワインを飲む。渋みが効いてて、おいしい。
 そのまま別室に移動し、食事の出ているテーブルに聴衆が座られ、ぼくは講演を始める。
 ワインが効いて口も軽く、と言いたいところだけど、まったく影響はない。それほど、やわにできてはいない。

 酔いはなくとも、ワインの素晴らしい渋い味わいは残っていて、ちいさなちいさな幸せは感じる。
 講演は、力のあるひとびとへの話だけに、厳しい指摘をどしどし盛り込んだ。

 日本経済のエリート群の一角と言えるひとびとは、最初は淡々と、後半は、ひとことも聞き漏らすまいという秘めた熱意が伝わってくるように、真摯に聴いてくださった。


▼資金ショートに苦しむ人も多い中小企業から、潤沢な資金の投資先に悩む強力投資家へ、同じ日に話するのは、あまりない機会だ。
 ぼくにも、よい勉強になった。
 声は、タクシーのなかでも、講師控え室でも、完全に潰れていたけど、講演本番を始めると、不思議に、ある程度は艶(つや)が甦ってくる。

 この講演会も、可能な限り延長し、ぼくはもちろん、ほとんど何も食べずに、またタクシーに飛び乗り、Y秘書と羽田空港の新しい国際線ビルへ。


▼後者の講演会の主催者が渡してくださったお弁当を、空港で、ぼそぼそと、すこし食べる。Y秘書が買ってきてくれたアイスクリームが、よき幸福でありました。
 そして出国ゲートへ。
 ここしばらく、来る日も来る日もY秘書と日帰り強行軍をこなしてきたので、出国ゲートで、思わず胸いっぱいに感謝の気持ちが沸きあがる。
 仕事だから当たり前?
 うん、その通り。
 しかし、苦労人の彼女は、機嫌、不機嫌の波はちらりともみせずに、ぼくのくだらない冗談に本気で、マジで笑い転げながら常にアテンドしてくれるのは、ほんとうに助かる。

 ここは欧米ではなく東洋の日本だから、誤解を受けることもあるだろうけど、出国ゲートで握手とハグをして、感謝をありのままに伝える。空港では、ぼくが誰だか割と気づかれることもあって、しっかり、じろじろと見られる。
 しかし、思ったままの行動は変えない。

 Y秘書は、たまたま、まだ24歳で、見かけも中学生か高校生のようだから、たまに「青山さんが女性連れでいる」という眼や、ささやきも耳に入ることがある。
 大阪のお好み焼き屋で、関西テレビの打ち合わせ前にY秘書と食事をしていたら、大阪のダイナミックな女性軍団に「あ、青山さんが、女連れでご飯食べてるわ」と口々に叫ばれたことがある。
 ぼくらは吹き出して、一応ぼくは、「あのー、うちの正社員の秘書なんですけど」と言ったが、すると「いやぁ、ヒショやってヒショ、ぎゃはは」と返されたので、もう気にする気分にもならず、かまわないので、そのままにした。
 あとで、Y秘書に「今ごろ話が百倍になって、千里(せんり)に広がってるぞ」と言うと、Y秘書は平然と笑っている。
 Y秘書は大阪生まれ、大阪育ちの近畿大学卒業生だ。卒業の時に、法学部長から優等表彰を受けている。
 ぼくが「ヤング大阪おばちゃん」と呼ぶと、平気で「はーい」とちゃんと明るく返事をする。
 お好み焼き屋のおばちゃんたちも含めて、たいしたものです、大阪の女性たち。バイタリティと天真爛漫な明るさが気持ちいい。

 さて、ぼくはゲートでY秘書と別れ、セキュリティ・チェックを受けて、出国した。
 ラウンジで仕事をしていると、すぐに搭乗時間。
 羽田専用かな、とも思える機材は、狭くて、仕事にするにもトイレに行くにも臨席のひとに気を使う。
 あまり映画も見ずに、仕事を続け、すこしうつらうつらすると、もう9時間半近いフライト時間が過ぎ、見慣れたサンフランシスコ湾が近づいてくる。


▼アメリカに入国すると、ロビーで待っているはずの出迎えの運転手さんがいない。
 どう探してもいない。するとドライバー、一般の客と紛れて、スマホだかタブレットに夢中になっていた。
すでに料金は日本から振り込んでいるのに、ぼくの名を記したプレートを広げることすら、していない。
 悪意はないとも言えるが、労働モラルのあまりの低さに、「この男のためでもあるよね」と考えて、しっかりと厳しく注意した。
 背の高い白人の彼は、あっさりと謝った。すなおで、いい人柄だと思う。ただ、うーん、この人柄の良い、のんびりぶりがまた、ちょっと逆に働いて、まあ、同じことを繰り返すだろうな。

 それでも、タクシーはシスコの高速を順調に走り出した。
 今回のシスコは西海岸、j0月に行ったボストンは東海岸。
 気候も、ひとびとの気質も違うのに、なぜか、ぼくには似て見える。
 なぜだろう。
 坂道の街のせいか、ほのかな海の香りのせいか。

 Y秘書と同年配の若さで、まったく思いがけず「ガンかもしれない」と医師に告げられたひとの様子が何も分からないままなので、このごろいつも胸の奥でぼくはひとり、沈んで考えている。
 ぼくは、次の日本に必要な人材だと、本気で感じている。能力も人柄も、その哲学も。日本人には、こんなに将来のあるひとがいる。
 そのことに、女も男も関係ない。
 シスコを歩いていると、ボストンに深い縁のあるこの人材の前向きな、積極性いっぱいの気持ちのよい言葉や立ち居振る舞いが思い出される。
 天よ、この人材を、どうか支えてください。

 のんびり屋運転手さんの、つまり、ちといい加減なところのあるアメリカ人運転手さんのタクシーは、最後は、好人物らしく穏やかにホテル玄関に着いた。
 街はもうクリスマスカラーで満ちている。

 みんなに、みんなに、よいクリスマスが来ますように。

不肖ながら、ほんのすこしだけ、かけらだけ、日本を背負って

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*日々の点描 オン・ボード その5
【12月4日火曜/続き】






▼サンフランシスコの街中のホテルにチェックインし、先にシスコ入りしていた独研(独立総合研究所)の戦う自然科学部長、青山千春博士と、研究員とに合流する。

 シスコと日本は、時差が実に17時間ある。要は、世界でいちばん、日本との時差が激しいところだ。
 だからシスコに入ると、時間が大きく逆戻りして、12月4日火曜の夕刻になっている。つまり、東京都内で連続講演をやっていた時間に、いわばタイムマシーンのように戻る感覚だ。

 別の見方をすると、日本での新しい時間が、おのれの今いる場所よりずっと先にどんどん進んでいくことになる。
 こういう海外出張というのは、毎回、かなり苦しい面もある。
 日本での複雑な仕事の局面がそれぞれ先へ、先へ進んでいくから、常に、現地での仕事に合わせて海の向こうの日本に対処せねばならないから。

 …と言ってもまぁ、慣れてはいるから、ストレスは、ほぼない。
 それより、とにかく海外に出て、感覚がリフレッシュされていて、なんやら快適だ。


▼シスコに着いてすぐ、明日の朝にはもう、資源や地震、環境といった地球科学をめぐる世界最大の学会、AGU(地球物理学連合)のオーラル・セッションで、口頭発表をしなければならない。
 発表時間はみな、15分間に制限されている。
 なにせ世界中から、2万人を超える第一線の学者と研究者が、どっと詰めかけている。

 ふつうは、その15分間をフルに話してしまうのではなく、最後に質問を受ける時間を残す。
 その質問タイムを作るためにも、予行演習がやはり必要だ。


▼国際学会でいつも、すこし驚くことがひとつある。
 学者・研究者のなかには、質問を封じるために、15分を超過気味に話すひと、あるいは質問者をサクラで用意しておいて、あらかじめ分かっている質問だけを受けようとするひとがいる。

 ぼくは最初、そんなことは分からなかった。
 学者の世界で生きてきたのではないからだ。
 しかし、狭い学者の世界で良心的に生きようとしているひとたちと、ご飯を食べたり酒を酌み交わしているうちに、そうしたことをよく聞き、やがて、実際の学会発表で「ああ、この発表が質問封じなんだなぁ」」と分かったり、「これはサクラの質問かな」と思うときが出てくる。
 そうしたとき他の学者に聞くと、「あれは、もちろん、そうですよっ」という明快な返事だ。

 うーむ、何のための学問、何のための研究なのか。
 そして、うーむ、こういう学者は、すくなくともぼくは日本からの発表者以外には、見たことがない。
 アメリカやヨーロッパからの学者は、質問を待ち構えていて、短い時間であっても意味のある質疑、議論を自在に展開しているひとが多い。
 英語力への不安もあるのかもしれないけど、日本社会で、保身や虚栄が先行していて、本来の目的を見失うことが少なくないことと関係があると考えるほかない。

 独研(独立総合研究所)がふだん、日本の既得権益の勢力から受けている圧力や嫌がらせなどなどと、根っこは同じだろう。
 だからといって、日本にがっかりするのでは、全くない。
 戦う目標が、より、はっきりして、やる気が余計に満ちてくる。
 無理をしているのでは、ありませぬ。
 なんだか、すがすがしい気分すらする。人間、何をやればいいのか分かることほど、気持ちのいいことはない。


▼当たり前だけど、ぼくは質問を受けたいので、ボリュームたっぷりの発表内容がコンパクトに収まるように、まずは、独研シスコ3人組で、内容を再検討する。
 しかし青山千春博士も、研究員も一方で、ぼくが事前準備を克明にやるより、自由な余白をむしろ残しておき、本番の集中力を高めるタイプだということが、よーく分かっている。
 だから過剰な介入は、しないでいてくれる。
 あっさりした打ち合わせを終えて、ぼくは、一度だけ声に出して、発表をひとり、やってみた。

 オーラル・セッションで発表する学者・研究者は誰でも、あらかじめAGU事務局に提出してある文字と画像を、発表会場でプロジェクターに大きく映し出すのだけど、その画面にはない補足、というより根っこにある核心を、その場で自然に話したい。
 なぜか。
 画面をなぞるだけの発表だと、聴いている側は関心が薄れてしまう。寝ちゃう人もいる。
 なにせ、次から次へと15分ごとに発表が続くのだから。


▼AGUは完全な自然科学系、理系の学会だけど、ぼくの発表内容は前回(2010年)も今回も、理系と文系、自然科学と社会科学の境界線を考えている内容で、AGUもその意義を認めてくれて事前審査を通り、発表予定が公式登録されている。

 日本海のメタンハイドレートによって、日本国だけではなくアジアに希望をもたらすためには、どんな科学的アプローチと社会的アプローチを実践するかという内容だ。
 どんなアプローチが考えられるか、という評論風の発表じゃない。
 いま実際にどう具体的に実践しているか、それをどう現実に発展させるか、という発表だ。

 だから聴衆にちゃんと聴いてもらわねばならない。
 資料の読み上げのような硬直した発表には、したくない。


▼ひとりでの予行演習は、一度だけにして、あとは頭を自在に遊ばせて、単なる読み上げをいかに脱するかを、考えていくうち、どんどん朝が近づいてきた。
 時差ぼけの影響は、正直、ある。
 かつて1日1国というスケジュールで、ひとり、世界を廻っているころは、時差ぼけもまったく感じなくなっていた。
 今は、日本で欠席しにくい仕事が増えているから、そんなことできない。
 たまにしか海外に出ないから、かつてよりずっと、時差ぼけが出てくる。
 しかしまぁ、これも、まさしく想定内。さしたることはない。


▼シスコに到着していきなり、こうしてパソコンに向かい合っていると、やはり思い出されるのは、去年に同じクリスマス・シーズンのシスコで、「ぼくらの祖国」(扶桑社)を学会と同時進行で、渾身で、ほんとうはね、ふひ、死ぬ思いで仕上げていたときのことだ。
 あの苦しさは、もう二度と嫌だけど、あの集中力は物書きとしても、もう一度、発揮したいな。
 AGUでの発表が早期に終わるということは、物書きとして、日本とは違う環境でリ・スタートできそうだということでもある。

 うん、だから、わくわく。
 日本で進行中の総選挙も、憲法がすくなくとも議論はされている初めての総選挙だから、わくわく。

 ダブルわくわくは愉しい。
 ただし、AGUの発表が終わったらすぐに、まずは、独研が会員に向けて配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」を仕上げて、シスコから送らねば。
世界も日本も、この瞬間もどんどん動いているのだから。


*写真は、■シスコの夜のケーブルカー通り。■AGU会場のもの凄い学者と研究者の群れ。■そして、ぼくも発表する会場の前で学者・研究者が発表予定を熱心にチェックしている。どの発表を聴くか選ぶのも大切だ。■貼り出された発表予定。世界の人々とともに、ぼくの名もあります。なかったら、えれーことだぎゃ。■ふんふん、ちゃんとあるなぁ、ひと安心という感じ。

投票日の、晴れた朝に

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▼きのう夜、ぼく自身の想像を超えてしまった無茶ら苦茶ら日程のなか、大阪から帰京してきた。
 きょう西暦2012年12月16日の、憲政に残るだろう総選挙のあと、関西テレビの選挙特番に、いつも通りに参加(出演)するから、そのまま大阪にいれば体は楽だった。
 だけど今回の選挙期間中は、期日前投票をする時間すらまったくなかったので、いったん帰京しないと、投票ができない。

 おのれは投票しないでおいて選挙特番に顔を出したりするのは、サイテーだ。這ってでも帰京したかった。
 ぼくの周りは、独研(独立総合研究所)の研究員も、家族も、友だちも、知人も、次から次へと風邪やノロウィルスにやられている。
 それでも誰からも、ぼくにはうつっていない。ところがゆうべ、飛行機内という密室で、強力なウィルスらしき気配が、ぼくの鼻と口と目に襲いかかってきたのが分かった。
 こういうとき体内から、「待ってましたっ」と何かが、免疫力のような何かが迎え撃つ気配を、ありありと感じるときがある。
 ゆうべは、そうだったにゃー。
 まさか、いま、斃(たお)れるわけにはいかないから。
 ぼくも、いつかは斃れる。みんなと別れる。
 しかし、いまは、その時機ではないらしい。

 ふひ。


▼ほぼ寝る時間が取れないまま、いよいよ投票日の夜明けが近づく。
 まずは、寝ていた青山繁子(ポメラニアン)に「繁子、行くぞ」と声をかける。
 まさか、投票にじゃないですよ。
 繁子には残念ながら投票権がないし、わんこを投票所に連れて行くなんてことをするはずもないし、そもそも投票所はまだ開いてはおりませぬ。

 朝の散歩です。
 散歩に連れて行ってもらうのは、繁子のたいせつな権利です。

 一歩、外へ出ると、手袋を忘れたことに気づいた。
 しかし、抱っこしている繁子のおなかが、あったかい。
 繁子は、ことしの夏の暑さとずいぶん闘って、一時期、弱っていた。そして、背骨につらい部分があることが、レントゲンで分かった。それ以来、どんな小さな階段も越えさせないように、散歩エリアが平らになるまで、しっかり抱っこしている。
 繁子は、地上に降りる時をわくわくして待ちながら、いつもよか高い目線で見える世界を愉しんでいる。

 そして、柔らかい草地を選んで繁子を降ろすと、もう、涙が出るくらい元気いっぱいに、子供だったときとちっとも変わらずに駆けだして、いつもの赤いリードをちいさな軀(からだ)でぐいぐい引っ張る。


▼そう、そうです。
 この繁子を護ることを、誰か遠くの友だちに頼みますか?

 たがいに嘘をつかない友だちは、とても大切だけれど、愛する者はおのれで護る。
 散歩中の繁子に大型犬が、ふつうではない興味を示せば、まず、強烈な眼力(めぢから)を送って、抑止力にする。
 リードを付けない愚かな飼い主も遺憾ながらいらっしゃるので、抑止力、すなわち戦いを起こさないための抑止力をまず常に使う。
 それでも、繁子にとって安全な距離を破って、リードのない大型犬が近づいてきたり、ましてや、こちらに走り出してきたら、瞬時に繁子を抱きあげて両腕に抱え込んだうえで、満身の怒りで、こちらも、ぐいぐいと近づく。
 それで、たいていの大型犬は、上げていたしっぽを急に垂れて、繁子に気づかなかったふりをするかのように、方向を変える。

 方向を変えなかったら?
 これまでは一度もなかったけれど、あれば、戦う。ぐいと近づきながら、実は、大型犬といえども柔らかい腹を蹴りあげる準備はしている。ささやかに空手道を学んだことはある。

 もしも逃げ出したら、襲われる。
 もっと正しく言えば、飼い主にリードを間違って付けてもらえずにいる、かわいそうな大型犬に、間違った戦いをするきっかけを、こちらから与えてしまう。
 逃げ出したら、飼い主にフェアに、かつ冷静に注意する機会も失われる。

 ぼくは、ほんとうは大型犬も大好き、だーいすきだ。
 なにせワニでも好きなぐらい、動物が好きだから。
 いま小型犬を飼っているのは、住宅事情と、それと単なる偶然だ。

 だから戦いたくない。腹など決して蹴りたくない。
 たまたま、ぼくと家族が、繁子と出逢って、愛している。愛する者を護るためには、間違った戦いをする者を、その戦いをやめさせる範囲内で、真っ正面からみずから戦う。
 間違った戦いをしようとした者が、それをやめれば、真心をもって慈(いつく)しむ。

 ぼくが長年、憲法改正、すなわち俺たちの憲法は俺たちで創ろうと、非力ながら呼びかけてきたのは、たとえば、こういうことです。


▼今朝はまず、1月のヨーロッパ渡航に備えて、国際運転免許を取りに行く。 
 これも今日取っておかないと、間に合わない。
 そして、その帰りに、投票だ。
 有権者のひとりとして、オリジナルな民主主義を持つ国、日本の唯一の主人公である、わたしたち有権者のひとりとして、拉致被害者を最後のひとりまで取り返すためにも、領土と、そこに暮らし働く(たとえば魚やアワビをとる)同胞の生活者を護り、あるいは、そこにかつて誠実に暮らしていた同胞の生活を取り戻すためにも、ぼくは憲法を最大争点として、投票する。

 投票が終わると、すぐに大阪へ出発する。
 そして、投票を終えられたみなみまさまと、番組を通して、お会いしましょう。


*上の写真は、美しい日本晴れの投票日の早朝、東京港の向こうに、たおやかに輝く、われらの富士山です。
 下の写真は、お馴染みの、青山繁子です。ただし、いつもとは、ちょっと違う表情でしょう? 一緒に泊まったホテルの部屋に、朝陽が差し込んできて、ようやく目が醒めはじめたときの繁子であります。
 いずれの写真も、重くなるだろうけど、縮小しないでオリジナルのままアップしてみました。重さで開きにくいひとには、ごめんなさい。

日曜の烈しい総選挙が終わって…  (*日々の点描 オン・ボード その6)

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…きょう12月18日火曜に発売された「新潮45」(新潮社発行の論壇誌)に、ぼくが久しぶりに書いた論考が載っています。
 タイトルは、以下の通りです。

 深部に潜む次の危機
   橋下、石原を繋いだ「脱天皇」

 よろしければ読んでみてください。
 いま、その18日早朝の新幹線のなかです。


▼12月16日の投票日は、東京都内の自宅近くで投票を済ませたあと、空路、大阪へ。
 政党の首脳、幹部陣、若手らと電話たくさん。
 夜8時に投票時間が終わってまもなく、RKB毎日放送(福岡)のラジオ選挙特番に電話でナマ参加(出演)。小選挙区制の問題点と、民意の賢さについて話す。

 そして、夜8時14分から深夜まで、関西テレビの選挙特番に、愉しい緊張感をもって参加(出演)。終わってすぐ、関テレの17日月曜のニュース用にコメント撮り。
 そのあと、ニッポン放送ラジオ(東京)の選挙特番に、電話ですこしナマ参加(出演)。

 ホテルで、わずかに仮眠したあと、早朝からふたたび政党の首脳、幹部陣、若手らと、今後のことをめぐって電話たくさん。
 そして伊丹空港から空路、帰京…ではなくて、逆に西の福岡空港へ。
 年配のタクシー運転手さんの相当にローリングするタクシー車内で、疲労と睡眠の極端な不足のために珍しくすこし気持ち悪くなりつつ、RKB毎日放送に到着。ディレクターの用意してくださった昼食のおいしさに、ちょっと元気になる。
 このSディレクターは、博多のライブハウスで一緒に、ライブをやってくれたミュージシャンでもある。

 そして、今度はテレビ番組にナマ参加(出演)。
 番組では、ベテランキャスターの仕切りで初当選の自民党議員おふたりらと議論。
 福岡、博多も好きです。


▼そのあと福岡空港から羽田へ。
 自宅に一瞬だけ戻って、顔をごしごし洗い、目が醒めることを祈りつつ着替えて、赤坂のTBSへ。
 タクシーでTBSに着いたとき、次期総理からの電話があり、拉致事件への取り組みをめぐって印象深い話があった。それを受けて、廊下の隅っこに立って、あちこちに電話。協力を惜しまない、良心的な政党人がいて、若手の彼に胸のうちで深く感謝する。
 これは、19日水曜の関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」のぼくのささやかな持ちコーナー「青山のニュースDEズバリ」で取り上げる予定。

 TBSでは、質問に何でも答えるという番組の収録。
 自由な質問に、ぼくなりに経験も総動員して答えるというのは、視聴者にとって、ささやかには意味があるだろうなと、参加している。ほかにも回答者のかたが沢山、いらっしゃるところなどなどが、日本文化チャンネル桜(CS放送)の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」とは違うけど、ぼく自身の志としては、いつもまったく同じです。
 
 この収録がなんと、局に午後6時50分ごろに入って、深夜1時ごろまでだったか、とにかく長時間の拘束となった。
 この番組は何度も参加しているけど、こんなことは初めてだ。

 きょう18日が、早朝5時の自宅出発だったし、ちょっと影響した。
 未明1時半過ぎに、ようやく帰宅したものの、ほとんど仮眠すら取れず、そのまま駅に向かう。
 そして今、新幹線は名古屋に着きます。
 ここで乗り換えです。
 やれやれ、いくらか荷物を重く感じる。
 いつもは荷物が重いと、鍛錬になると本気で喜んでいるんだけどね。
 ジムも長いこと、行っていないなぁ。

 ふひ。


▼さてさて、みなさん、投票お疲れさまでした。




にんげんの志

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▼今朝(12月19日水曜の朝)の朝刊テレビ番組欄でお気づきの方もいらっしゃるでしょう。
 きょうの関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」のぼくのささやかな持ちコーナー「青山のニュースDEズバリ」に、次期首相の安倍晋三さんがナマ参加(出演)します。

 安倍さんは今、側近議員らに「テレビ番組への出演をすべて控える。政権発足の準備に専念したい」と指示していて、そのなかの、まことに異例な「アンカー」への参加(出演)です。
 これは関西テレビによる交渉の結果ではありません。関テレと他のすべてのテレビ局との今後の関係のためにも、それはあえて明言しておきます。
 ぼくが直接、安倍さんと電話で交渉しました。

 それは、ひとつには拉致事件への取り組みが、政権交代が確実になったあとも一切、語られていないからです。
 安倍さんにそれを聞きますと、「語りたいが、記者が誰も質問すらしない」という答えでした。
 ぼくが総選挙の開票当日に参加(出演)した関西テレビの選挙特番では、安倍さんと直接、掛け合いをする機会がありませんでしたから、きょう19日水曜のぼくのコーナーでナマの掛け合い、やり取りをしたいと、ぼくから安倍さんに提案していました。


▼正直、安倍さんがOKするかどうか、強く期待はしましたが、確信はなかったです。
 しかし安倍さんは、NHKや、東京の民放キー局(全国放送のテレビ局)への参加(出演)を今のところ、すべて断っているさなかに、一地方局である関テレに出てくれることを決断し、電話でそれをぼくに伝えてくれました。
 きょうは東京の安倍さんと、大阪の関テレ報道スタジオのぼくとを、ナマで繋ぎます。

 アンカーはいつも、たとえば拉致被害者の有本恵子ちゃんのご両親も、いつも熱心に視てくださっています。
 また、安倍さんのこの行動が、北朝鮮や中国、アメリカへの正しいメッセージにもなります。

 ぼくは、電話の向こうの安倍さんに、にんげんの志というものの大切さを感じました。


よくあることですが…

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▼こんな書き込みがありました。

〜先日の「ザ・ボイス」にて、「9月に発表された(日本の)経常収支がはじめて赤字になった」とご発言されましたが、これは事実に反します。
時事ドットコムによれば、「財務省が8日発表した2012年度上半期(4〜9月)の国際収支速報によると、海外とのモノやサービスの取引状況を示す経常収支の黒字額は前年同期比41.3%減の2兆7214億円となった。」と、あります。
経常収支の黒字額が減っただけでは円安の説明はできませんよね。
どこかで訂正をお願いします。〜


▼お書きになった方のハンドルネームは記しませんが、あなたの基本的な間違いです。
 上掲の発表は、季節調整前の発表です。
 ぼくの触れたのは、季節調整値を入れた、9月の経常収支です。
 季節調整済みの数字のほうが、国際収支の実態をよりありのままに示すというのが経済を考えるときの常道です。

 また、ぼくが申したのは「9月に発表された…」ではなく、「9月の…」です。発表は11月です。財務省が11月に、9月の季節調整済みの経常収支を発表したのです。
 さらに、ぼくが語ったのは円安の根っこにある要因のひとつであって、それで円安傾向のすべてを説明しようとしたのではありません。


▼上掲の書き込みでは、時事電を根拠にされていますから、参考記事の例を以下にお示しします。これはロイター電の引用です。他の記事などの引用は常に最小限度にしたいので、今回のことに直接、関連する部分の抜粋です。

[東京(11月)8日 ロイター]財務省が(11月)8日に発表した9月の国際収支で、季節的な変動要因を除外して算出した季節調整済みの経常収支が1420億円の赤字と、初の赤字に転落した。
(中略)…9月の季節調整済みの貿易収支は9774億円の赤字、貿易・サービス収支は1兆2886億円の赤字と、ともに現行統計開始以来最大の赤字を計上。特に貿易赤字額は「原数値」が過去最大の赤字を記録した今年1月の7056億円も上回る水準へ膨らんでいる。季節調整の「くせ」だけで一時的に赤字へ転落したとは言い難い。(後略)
(ロイターニュース 基太村真司)


▼ぼくの発信について、まったくの勘違いや誤解が生じること、それがすぐエスカレートして「訂正せよ」という要求になること、いずれもさほど珍しくないので、ふだんは、いちいち取り上げません。
 ただ今回は、同じような誤解がほかの方にも起きる可能性があるな、と思いました。
 なぜなら、財務省の発表ぶりも、一般への発表としては、やや不親切だからです。
 そこで、お応えしておきました。
 今回の書き込みだけを特段、問題にしているわけではないので、書き込まれた方もご心配なく。

うわわ

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▼まるで気づいていなかったのですが、アマゾンの「BEST OF 2012 年間ランキング」の「ノンフィクション・歴史・政治ほか」部門で、赤本こと、「ぼくそこ」こと、「ぼくらの祖国」(扶桑社)が第6位にランキングされています。(集計期間: 2011年12月1日〜2012年11月30日)


▼読んでくださった、みなみなさまに、あらためて深く頭を垂れてお礼を申しあげます。
 今後も、少しづつ少しづつでも、できれば読み継がれていけばなぁと、正直、祈るような気持ちです。


▼去年の年末は、サンフランシスコでの学会(AGU)参加中に、ほんとうに苦しい思いをして、この「ぼくそこ」を脱稿しました。
 ことしは、明日以降あたりから、いくらかは書く時間が取れそうです。

 物書きは、一定以上の生産をしてこそ、プロの物書きです。
 現状では、プロの名が泣きます。

 ゆうべ、新たにお付き合いが深まりつつある新潮社の編集者のかたがたと食事をしていて、それを痛感もしました。
 ことしの年末年始には、文学への復帰もまた、実行していきます。

永遠のなかの新年 (すこし書き足しました)

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みなさん、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
いま、欧州危機のさなかにあるイタリアのミラーノ(ミラノ)にいます。
今回は、国際機関が集まるジュネーヴ(スイス)からヨーロッパに入り、フランス、イタリア、スイスを、レンタカーを運転し目まぐるしく行き来してから、ここミラーノに空路、入りました。

国内で、雪のあるところへ出張したときは、どんな無理をしてでも、どんなに短い時間でも、スキーもして帰京するのです。(おかげで、わりと最近に長野県で、スキージャンプで墜落して腰の骨を5本、折りました。腰に後遺症がないので、トラウマもなく、出張プラス無理無理スキーも継続です)

海外の今回ももちろん、仕事もしつつ、スキーをがんがん滑りました。ただし、国内でためにためた疲労もあって、おのれで納得のいく滑りはできなかったナァ。それに情けないことに、アルプスのあまりの荘厳さに身が縮んで、ろくに滑れないのです。
いつか、まったくスキーだけで長逗留して、アルプスの大斜面を克服したいですが…ま、すくなくとも当分は無理です。
胸の奥で、げんきな、新年です。


上の写真は、ミラーノ市内の古城にある、有名な紋章です。
古都ミラーノをかつて支配したヴィスコンティ家の遺したものですね。
力の象徴とされる青い蛇が、弱き者、なんと恐ろしいことに人間のこどもを呑み込むさまが描かれ、その右横には赤い剣です。

その通り、ヨーロッパ大陸はかつて、力と力の残酷なぶつかり合いの世界であり、国や公国や支配者がひしめきあっていました。
いわば、正直な紋章ですね。
それをEUという調和と助け合いの世界に変えていこうとすると、現在の、深い危機が新しくおとずれました。

日本の危機を考えるうえでも、ぼくなりのささやかな思索を深める出張になっています。

この年末年始は、ブログに書き残しておきたいことも沢山ありました。
いずれ、アップしましょう。
いまは、新しい原稿を書いています。ノンフィクション(論考)とフィクション(文学)の両方です。

ミラーノの歴史は、おおむね2600年ぐらいとされていますから、ちょうど、わたしたちの祖国の歴史とほぼ重なり合いますね。
その古きも古い、しかし感覚はとても新鮮な街に、夜明けが近づいています。
すこし寒いです。さきほど、半袖のTシャツのうえにフリースをかぶりました。

下の写真は、スイスのチューリヒ空港からアルプスを越えて、イタリアのミラーノ・マルペンサ空港に南下していく機内から山々に、ちいさな祈りを捧げていたときです。
この地味ブログを、わざわざ訪ねてこられるみなさんに、この一年、なによりも、なによりも健康がありますように。


がんばれ、邦人のみなさん、一緒に考えましょう、同胞(はらから)のみなさん

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▼かねてから、海外で生きる邦人、同胞(はらから)のみなさんから、ぼくと独研(独立総合研究所)に熱い、志のある支援の声が届くことが、驚くほど多いのです。
 この、国際社会に出た日本人のみなさんは、ぼくと独研の日本、アジア、世界に対する考え、哲学、理念や、ぼくらなりのささやかな歩き方が、「むしろ国際社会の常識に沿っていると良く分かるようになりました」という声、あるいは「海外にいると日本を客観的に見ることができるから、祖国を思って心配でいてもたってもいられない」という声を、たくさん届けてくださるのです。
 そして、「青山さんの生の話が聴きたい」という声も、ずっと以前からずいぶんと来ています。


▼それになんとか応えようと、一度、ヨーロッパで講演会を企画したことがあったのですが、ぼくが大腸癌の告知を受け、手術となって、残念無念ながら中止となりました。
 ほんらいは延期だったのですが、現地で呼びかけや準備の労をとってくださったかたが、もう日本に帰国されたこともあり、この話はいったん、中止となっています。
 しかし、この企画があったからこそ、その期間、日本で仕事を入れていなくて、と言ってもわずか数日間ですが、ぼくは手術をすることができたのです。
 ぼくは決して、すなわち、、ありのままに言えば命のリスクを背負ってでも講演会のドタキャンをしない考えなので、この海外企画がまだ、企画途中だった幸運もあって、手術を手遅れにはならないうちに実行できて、いわば命を救われました。
 当時に努力してくれた邦人のかたがたに、あらためて、こころの底から深く感謝します。


▼さて、毎年12月に、サンフランシスコで開かれる世界最大級の、資源エネルギーを含めた地球科学の国際学会「AGU」(地球物理学連合)に、ぼくや独研・自然科学部長としての青山千春博士が参加し、メタンハードレートについて発表し続けてきたことを、ご存じのかたも多いと思います。
 その際に、アメリカ西海岸で結婚生活を送られているふつうの主婦のかたがたが、祖国を思って、ぼく、青山千春博士とちいさな会合を持つのが、このごろ定例化しています。

 その主婦のかたがたが中心になって、5月26日の日曜に、アメリカ西海岸のサンノゼで講演会ととバーベキュー懇談会を開くことがほぼ決まりました。
 往復の飛行機代も、現地の宿泊費なども、このふつうの主婦のかたがたにお願いすることはできませんから、独研の負担です。
 したがって、独研にとっては莫大な赤字です。
 しかし、今こそ、海外の法人のかたがたの志も集めて、祖国を立て直す時機だと考えます。

 できれば、アメリカ西海岸だけではなく、世界のいろんなところから集まっていただければと思います。
 もちろん、アメリカ西海岸の観光ついでに、日本からの参加も大歓迎します。


▼まだ詳細は決まっていませんし、もしも独研の厳しい財政状況がもっと悪化したり、国内で状況が急変したりすれば、変更になる可能性もまだ皆無とは言えませんが、できるだけたくさんのかたに、早め仁お知らせしておくために、あえて今回、書き込みました。

 続報を、どうぞお待ちください。


                  窓の外の、びっくりするぐらいの大雪をみながら、東京での独立講演会の直前に。

追記 (下掲の、海外邦人のための講演について)

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▼現在の予定では今回、アメリカには、このサンノゼ講演のためだけに行きます。
 ひょっとしたら0泊機中2泊。
 なんとか1泊機中2泊か、それ以上にしたいですね。


▼海外邦人のための講演は、これが最初で最後の、唯一の機会になる可能性もあります。
 独研(独立総合研究所)の財政状況としても、前後の日程の厳しさからも。


▼サンノゼは、アメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアの南岸です。
 シリコン・バレーの中枢の地域で知られていますが、アメリカでいちばん安全な都市とされ、温暖な明るいイメージがアメリカ国内でも浸透していると思います。

 アメリカでもっとも古くから日本人街のある街のひとつです。
 ロスやシスコに鉄道や車でスムーズに行けます。

みんなとの歩み

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▼もうご存じのかたも増えてきたと思うのですが、わたしたち独研(独立総合研究所)の自主開催する「独立講演会」が回を重ねています。

 ふだんの講演会では、講演時間はおおむね90分、1時間半ほどと決められていて、なかなか語り尽くせません。
 もっとも、いくら時間があっても、祖国を甦らせるために、みんなで一緒に考えることが尽きないから、すべてを一度に話すことはできません。
 それでも「時間無制限」を掲げて、第1回の独立講演会を、2011年の5月22日に開きました。これは、東日本大震災の被災者のためのチャリティ講演会としておこない、集まった「受講料」はすべて、ぼくが、あの宮城県南三陸町に持参しました。
 町のふつうの職員だった、遠藤未希さんと三浦毅さんらが、みずからの命よりみんなの避難を大切に考え、最後まで「津波が来ます」という放送を続けてくださった、南三陸町ですね。


▼そこから始まった「独立講演会」のちいさな歩みは、去年の年末、12月23日の今上陛下ご生誕の日に第13回を数え、このときは過去最長の連続6時間半の講演となりました。
「時間無制限」といっても、実際は4時間半を基本にしています。なぜなら、過去の参加者の最年少では小学校4年生、最高齢では90歳を超えるかたがたが参加しているなか、みなさんの体力なども考えつつの講演ですから。
 4時間半でも、映画2本分ぐらいありますから、ふつうに考えれば、あり得ないほどの時間です。
 しかし、みなさんがいつも「あっという間でした」という感想をメールや書き込みや口頭で語ってくださいます。
 正直、いつも大感激です。

 その基本時間よりも、さらに2時間長い、連続6時間半というのは、独立講演会として最長だけじゃなくて、この世の講演会として、ひょっとして最長クラスかな?
 たくさんの参加者、400人近いかたがたが、ほとんど全員、最後まで、聴き入り、質問してくださったことに、あらためて感謝し、そしてその祖国を思う志の強靱さに深い敬意を表します。


▼そのまえの第12回(2012年11月24日土曜)は、亡き三宅久之さんをしのぶ会と重なったので、悩んだ末に、2時間ほどの講演で終えて、ぼくは「しのぶ会」に向かいました。
 そして、おととい2013年1月14日の祝日に、第12回の参加者のかたがたとの約束通り、「残り時間の講演会」を開き、大雪のなかを東京・お台場の会場に集まってくださったみなさんに、4時間の無料講演をしました。
 これで、合わせて6時間ですね。ふひ。

 それにしても、凄絶なまでの大雪でした。みなさんが無事に帰れるかどうか、こころから心配でした。
 なかには、常連の男性で、静岡から車で会場に向かいながら雪の大渋滞でついに会場に着かず、「半日ほど車の中に閉じ込められていました」という趣旨のメールをいただきました。ほんとうに、お疲れさまでしたね。次回はきっと、無事にお目にかかれます。


▼さて、この独立講演会の第14回の詳細が決まりました。
 以下は、独研の公式HPからの抜粋です。
 よろしければ、どうぞ申し込んでいただき、目と目を見合って、第二次安倍政権下の日本立て直しを一緒に考えましょう。


*第14回 独立講演会 (2013年 2月17日講演 : 申込み開始しました)

【講演日】
2013年2月17日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 〜 18時00分

【講演内容】
「 内政と外交の根っこを統合することを試みる 」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804

「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分
詳細は、こちらへ。

【定員】
260名
※定員を超えた場合、抽選とさせていただくこともありますのでご了承下さい。

【受講料】
一般 5,000円 / IDC(インディペンデント・クラブ)会員 4,000円

【申込期間】
2013年1月16日(水)〜 2013年1月23日(水)正午
※申込期間内のみ、申込を受付致します。

※今回の申し込みは、独研ホームページにある申し込みページからのお申込みに限ります。

(*中略、詳細は、上記の独研HPをご覧ください)

【ご注意】
講演の録音と録画は固くお断りいたします。


▼ぼくは思うのです、独立講演会でみんなと濃密に触れあうときの、なんとも言えないほどの充実感と清々(すがすが)しさを。
 そして、それを、みんなで互いに共有できることを。

 そして、愉しさを共有できることも。
 第13回では、400人近い全員に行き渡るように、ささやかなプレゼントも用意しました。
 おとといの「残り時間講演」でも、ぼくの書斎(仕事場)に置いていた銘酒2本を、じゃんけん大会で、プレゼントしました。

 これからも、こうした、ちょこっと楽しいことも、やっていきます。
 会いましょうね、ね?



*写真は、独立講演会とはまったく関係ないのですが、先日の欧州出張のときです。
 国際機関が集結しているジュネーヴ(スイス)から、レンタカーで1時間あまり走っただけで行くことができるシャモニー・モンブランの山々です。
 気力、体力を振り絞る感じでスキーをしたのですが、なにせ仕事をしながらでもあり、そして、情けないことに山々のあまりの迫力に気押されて、おのれで納得できるような滑りは、ほとんどできませんでした。

 次回は、疲れをもうすこし取ってから、そして用具も、レンタルスキーじゃなくてエッジのちゃんと立っているスキーで、しっかり滑りたいです。ふひふひ。


こんな一枚が届きました (書き改めました)

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▼写真は、つたない書物ながら魂を注ぎ込んで、したためた「ぼくらの祖国」の熱心な読者の撮影です。
 そのかたが、沖縄の摩文仁の海岸で撮って、送ってくださった、目の覚めるような美しい一枚です。

 このかたは、まだ若い女性ですが、海外でも国内でも沢山の経験を積まれて、ずっと日本と日本人を思って生きてこられたひとです。
 この写真を撮ったときも、「沖縄を護ってください」という声なき声が、しっかりと聞こえたということです。
 中国をはじめ、いかなる手からも祖国のかけがえのない一部である沖縄を護れ、沖縄県民と日本国民を護れという声だったのではないでしょうか。


▼この「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、出版から1年を超えて、まだ読者が増え続けています。
 担当の誠実なベテラン編集者から「稀なことが起きている。この本を担当したことを光栄に思う」という趣旨の、印象に残るEメールが届きました。

 たとえばアマゾンの残り冊数は、ちょっとだけ目を見張るようなペースで少なくなっていきます。
 ただ、出版元からの補充は、お願いしても、なかなか行われません。
 読者が増えたといっても、実は、まだまだ日本社会で少数派です。それを謙虚に受け止めねばならないと考えます。敗戦後の日本社会は、ずーっと変わらずに来たのですから、そうは簡単に変わりません。「祖国」という言葉を冠した本が、出版元が熱意を持つほど読まれる日は、まだ来ていません。

「ぼくらの祖国」は、出版からまださほど時間が経っていないときなどにも、同じように、ネット書店で注文が増えているのに補充されないことが何度もあり、売り切れ状態のまま放置されたことが繰り返しありました。
 当然、買いたいひとは、困ったり、がっかりなさったと思います。
 今なお、同じことが繰り返されるのは、残念ですが、前述したように、ありのままの現実の反映でもありますから、出版元を責められません。

 しかし、読者が絶えてしまうことはなく着実に増えているおかげで、すなわち、著者のぼくではなく読者のみんなのおかげで、そう遠くないうちに間違いなく補充されると思いますから、もしも売り切れてしまったら、ほんとうに申し訳なく思いますが、待ってくださいね。

 書物というものは、著者が書いて終わりではなく、読んでくださるひとがいて初めて、ほんものの書物になるんだということを、あらためて実感しています。

えぐられるからこそ

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 先ほど、安倍総理の悲痛な発表で、7人の日本国民のいのちがアルジェリアで奪われたことが、対策本部の席上、明らかにされました。
 7人の戦士に、こころの底から哀悼を捧げ、まだ安否不明のかたがたの生存と無事を、深く祈ります。

 あぁ、抉られるようだ。胸も脳も、えぐられる。



 今回の事件で、交渉はありません。
 先週の木曜日、事件発生から間がない1月17日に、ニッポン放送の報道番組「ザ・ボイス」の生放送で、アナウンサーの飯田さんから問われて、ぼくは即座にそう答えました。
「ザ・ボイス」の直前番組のキャスターは「これだけ人質が多国籍だから、青山さんの言う強行突入が仮にあるとしても、それはどこが主導権を持ってやるのか」とも問われていましたが、それは主権国家のアルジェリアしかあり得ません。それも、17日の放送で申しました。
 番組のあと、独研(独立総合研究所)が配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の速報でも、そのように記しました。
 したがって、人質の危機がどれほど深いかは、危機管理を本職のひとつとしている者として、胸に突き刺さるようにありました。

 しかし、砂漠の非業の死を、現実に総理の口から聞けば、無念、無残の悲しみと怒りが湧きあがってきます。
 北アフリカの衝撃波は、9.11後の世界の新段階として、これからも続きます。
 わたしたちは、新政権と共に、それに備えねばなりません。

 日本のマスメディアの、アルジェリア事件の報道ぶりには、根本的な間違いがあります。
 それは、敗戦後の日本の思い込みのまま、「抑止」ということの本質を知らないまま、この新しい現実を、通り一遍の批判だけで報じようとしていることです。
 意識や意見の違いがあっても、連帯すべきを連帯して、悲劇の再現を防ぎたい、それにわずかでも寄与したいと、リスクと戦うべき独研の責任者として、そう考えます。



え、もう…

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…1月も、あと数日です。
 ことしも、アルジェリア事件をはじめ、凄まじい年明けになっています。
 もうそろそろ1月も終わってしまいますから、今年にぼくが出した年賀状(の文面)をアップしておきます。
 実際の年賀状には、最後のところに独研(独立総合研究所)の住所がありますが、申し訳ない、それはセキュリティ上アップできません。



 
             淡々と疾駆

▼昨年はもう一度、両親に深く感謝した年です。
 おとどしは重症肺炎で死に向き合い、そのあと大腸癌を手術し、それは数日で退院したけれど、退院後の腸閉塞で、より間近に死に直面し、その前年は、スキー・ジャンプで墜落し左腰の骨5本をすべて折ったのでした。
 しかし昨年は病も怪我もほとんどなく、後遺症もなく、さらに過密になった日程を淡々と、こなしていきました。
 ささやかな鍛錬はあっても根本は、親に贈られた体質です。「その後、体は大丈夫?」と優しい問いかけを沢山いただく昨年でしたから、まずは、これを報告します。

▼独研(独立総合研究所)も無事に生き延びて、ことし創立11年目を迎えます。危機管理・安全保障での、わたしたちなりの祖国への貢献に加え、日本国を建国以来初めて資源大国にする日本海のメタンハイドレートの調査・研究が、兵庫県、京都府、新潟県をはじめ自治体との連携もあって、わずかながら実を結び始めています。
 苦闘千里、それは変わりません。それでも、独研のちいさな存在理由は感じます。

▼ひとりの物書きとしては、昨年からノンフィクションの「ぼくらの祖国」(扶桑社)が、世のロングセラーの端っこに加わりました。ことしは文学にも復帰します。

  初日の出に、あなたさまのご健勝を祈ります。
  2013年元旦          青山繁晴 拝

▽ 株式会社 独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員
▽ 近畿大学経済学部 客員教授(国際関係論)
▽ 経産相の諮問機関・総合資源エネルギー調査会専門委員(エネルギー安全保障・核セキュリティ)、海上保安庁・政策アドバイザー、防衛省・幹部研修講師

HP 【独研】http://www.dokken.co.jp【個人】http://shiaoyama.com

念のため

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この個人ブログは、コメントが承認制です。
承認されたコメントしか、アップされません。
そして、現在の多忙で、承認の作業ができていません。
コメント欄がゼロになっているのはそのためです。

沢山のコメントをありがとうございます。
志をともにするコメントを頂くと、うれしく思っています。

実感、共感、痛感

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▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)が十刷に達しました。
 すこし前に決まっていたのですが、宣伝めく気がして、ここに書かずにいました。

 しかし、おととい兵庫県朝来市(生野銀山の地)、きのう京都、きょう1月29日に滋賀県甲賀市(忍者の里)と連日、つたない講演をして、いずれも「ぼくらの祖国」と「救国 超経済外交のススメ」(PHP)を求めてくださる長い列が、講演の前後にできたのを体験して、「読者になってくれたかたがたとの共通の喜び」という気がしたので、お伝えしておきます。


▼そして、「ぼくらの祖国」の続編を書くことを決めました。
 十刷となるのを契機に、どこかに修正すべき点はないかを最終確認しようと、おのれの原稿を読み返してみたのです。
 そのとき、「ここは続編に」とメモをして、途中まで書いたままになっている原稿をいくつか見つけたのが、きっかけです。

 こころに決するだけではなく、版元・扶桑社の信頼する編集者に、すでに伝えました。
 一日も早く出版できるよう、力を尽くします。


▼朝来市では、10代と20代前半あたりの若い人が、講演にたくさん、たくさん来てくれたのが印象的でした。
 ひとつには、少子高齢化のなかで朝来市にこんなに若い人がいるんだと、ちょっと驚きつつ、地域の未来のためにうれしく思ったのと、その若い人たちが、こんなにも祖国を真正面から見つめる時代が到来していることに、勇気づけられたのです。



*写真は、八重洲ブックセンター(東京)で「ぼくらの祖国」のサイン会をしたときです。
 みんなと、たいへんに愉しい時間を過ごしたことが、甦ってきます。
 続編を出すと、こうしたサイン会を開いて、正編と続編のいずれにもサインをして、お渡しすることができます。

 ぼくはサインをするとき、その読者のお名前をいちばん真ん中に大きく書き、おのれの名をその横に小さく添えるのを大原則にしています。
 読んでくださる人があって初めて、書物は書物になる、書き手が書いただけでは書物じゃないと考えるからです。
 そして、必ずおひとりおひとりと固く握手をします。
 希望されるかたには、男女を問わず、ハグもします。

 志を共にしている実感があるからです。
 そのとき、書を世に問うことをはじめ発信する責任も、痛感します。

 みなさん、あらためて、魂から、ありがとう。
 ありがとうっ。

(※サイン会の写真に映り込んでいる読者で、写真アップは困るという方がいらっしゃったら、このブログのコメント欄に書き込んでくださいね。即、削除します。ぼくの横に立ってサポートしてくれているブレザー姿は、上記の担当編集者のTさんです)





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