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Channel: ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ(31DEC14まで/新ブログshiaoyama.comに移転済み)
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みなさん、おはようございます

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▼いま出張先の雪国にいます。
 夜明けまでには、まだ時間があります。
 きのう、列車の中から一面の雪野原をみて、学生のとき下手くそなりにアルペン競技スキーに打ち込んでいた頃がありありと甦りました。
 思い出した、なんてもんじゃなく、あの時の身体と心に一瞬にして戻るような感覚です。

 何かのきっかけで、過去の時間が甦る…そのことだけを生涯かけて追求し続けたのがマルセル・プルーストですね。
 彼は36、7歳ごろからは「失われた時を求めて」という永遠の一作の小説を書いてゆくことだけに命を費やして、そのまま51歳で世を去りました。
 裕福な家に生まれたから、それができたのですが、ぼくは中学生の頃に、この生き方を知って関心を惹かれ、高校生の頃は「新しい手法、新しい感覚の実験小説」を産み出すんだと人知れず、考えて、試作をしたりしました。
 しかし、その当時から『小説を書くだけじゃなく、いろんな事をやる人生になるんだろうなぁ。ぼくは世の中を良くすることに、必ず貢献したいから』と感じてもいました。

 その通り、小説は、まったくの無名だったぼくの処女小説に近い(正確には2作目)の「平成」を文藝春秋社がいきなり単行本にしてくれる幸運に恵まれながら、その後の仕事の嵐で、次作を書かないまま、ここまで来てしまいました。

 ノンフィクションの「ぼくらの祖国」が12月29日に全国発売になるのを機に、小説の次作も、取り組み始めています。実に9年半ほどまえに初稿を起こした一作の完成を目指します。

 独研(独立総合研究所)から会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の年末特集も、11本の集中配信の予定が、あと6本残っているし、この出張のような民間・独立系のシンクタンクとして国民を護る仕事も年末年始にも沢山あるし、テレビへの参加も幾つかあるし(レギュラーの参加に加えて、来週月曜のTVタックル生放送への参加や、大晦日に放送の関西テレビの特番「青山繁晴の緊急提言」などがあります。後者は、初めてMC、メインキャスターを務めます)、さらには次のノンフィクション執筆の準備も始めているし…まぁ、少年時代の予感どおりに、プルーストさんとは真逆の人生ですね。
 そもそも人類史に残るマルセル・プルーストと比べてみたりすることが、僭越の限りですが。


▼さて、「ぼくらの祖国」の版元、扶桑社の編集者から、Eメールが届いていました。
 大阪ジュンク堂に、サイン会についての問い合わせが殺到して、まだ開催日だけしか決まっていないので、書店が対応に困っているそうです。
 みなさん、まことにまことに恐縮ながら、詳細が決まるまでは、書店への問い合わせはなるべく控えてくださるようお願いします。

 サイン会は、大阪だけではなく、東京や京都でも、あるいは他の都市でも開催していきたいと考えています。
 今後は詳細が決まったときに限り、この地味ブログでもお知らせすることにします。

 日本列島の多くの場所に、初雪が降った翌朝のきょう、みなさんが愉しい一日を送れますように。
 そして北海道をはじめ、すでに雪との戦いが始まっている地域のかたがたも、愉しい一日になりますように。

 ぼくは、きょうこの後、まだ帰京はせずに大阪へ向かって「たかじんのNOマネー」(テレビ大阪)に参加(出演)します。
 車中で雪をみつつ、執筆を続けます。


▼きのう野田総理が「福島第一原発は冷温停止。事故は収束」と記者会見で述べましたが、ぼくは全くそう考えません。冷温停止ではなく、以前からずっと言い続けているように「冷温破壊、という未経験の事態」だし、事故全体も収束とはとても言えません。

 来週月曜には、早朝から福島へ入り、飯舘村の村長さんと再会します。
 大晦日に放送する関テレの特番のためでもあります。
 福島から東京に戻ったら、そのままTVタックルのスタジオ入りです。







その後の「ぼくらの祖国」 … and the Evening Star

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▼みなさん、いまは12月25日・日曜の午前2時28分、出張先の長野県にいます。
 凄絶な一年だった2011年もクリスマス・イヴが過ぎ、主イエス・キリストの生誕日を迎えました。
 ぼくはキリスト教徒ではありませんが、母と姉がクリスチャンであり、幼い頃から聖書にも馴染んで育ちました。
 赤ちゃんのとき、母に抱かれて、日本キリスト改革派教会(プロテスタント)で幼児洗礼を受けましたが、大人になって、みずからの意志による信仰告白をしていませんから、クリスチャンではありません。
 今後も、キリスト教徒になることはありません。
 ありませんが、親しみと、多少の知識はあります。

 主イエスが生まれたとされるベツレヘムへ、イスラエル軍とパレスティナのゲリラ部隊が衝突しているさなかに入り、機銃弾の撃ち込まれた跡が生々しい坂を下った先にある「キリスト生誕教会」を訪ねた時のことを、クリスマスのたびに思い浮かべます。
 教会の内奥では、主イエスの生まれたという、その場所に直接、手で触れることができます。そして原始キリスト教とも言うべき、古い時代のままの祭礼がおこなわれていました。
 しかし一歩、外に出ると、自爆テロで死んだムスリム(イスラーム教徒)の青年や少年、そして女性の写真が、石の柱に貼り付けてあります。
 ぼくは一枚、一枚を丁寧に見ていきました。


▼さて、最新刊の「ぼくらの祖国」は、版元である扶桑社の編集者によると、予約されたかたが予想を超えて多くて、初版本はすぐになくなるのではないか、という情勢だそうです。
 そこで、1月にすぐ、重版が出せるように、作業をしておくことになりました。

 まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。

 そのあと版元から、初版本のゲラが、どさっと届きました。
 というのは、あの4週間を超えてほとんど眠らずにサンフランシスコで原稿の仕上げを急いだ日々に、ゲラのチェックは一度しからやることができず、出版社の校正を信頼するほかなかったからです。
 もちろん、出版社の校正のかたがたはプロの誇りを持って仕事をしてくれたのですが、著者による校正は本来のぼくの考え方でも、一度では足りません。
 そこで重版に向けて、全ページをもう一度、著者の手で校正することにしたのです。

 ところが1月の重版ということは、年末年始に出版社や印刷所が休みになることを考えると、その全ページの著者校も、まったく時間の余裕がなく、またしても連日の徹夜仕事になりました。
 いくら徹夜には慣れているとはいえ、4週間を超えてほとんど寝ないという、あまりに無茶な仕事を終えたばかりでしたから、肉体よりも精神的に、ほんとうはきつかった。


▼だけれども、ゲラとほぼ同時に送られてきた初版本の実物、その装丁の美しさと潔(いさぎよ)さに励まされて、最後のページまで著者校を終え、修正を入れたゲラを合計61枚、宿泊先のホテルから版元の扶桑社へファクシミリで送りました。

 装丁は、原案こそぼくが提案しましたが、それを見事に仕上げてくださったのは、編集者とプロのスタッフです。
「日中の興亡」(PHP)、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)以来、装丁をたいせつに考えて、原案をぼくが提案するようにしてきました。子供の頃から、本の装丁というものが大好きだったからです。
 みなさんも、ネット上で読むだけではなく、本をやはり読みたいのは、手に感じる小さな重みがいいのと、そして装丁のデザイン、訴える志、発色ですよね。
 装丁がきっぱり美しいと、嬉しくなる。

    ※帯ありと帯なしの装丁です。


「ぼくらの祖国」は、少年少女でも読みやすいように、字と行をゆったり組んでありますが、およそ300ページあります。
 それを、独研(独立総合研究所)の仕事と同時並行で、急ピッチで著者校を仕上げていくのは、また言うけど、きつかったぁ。
 しかし、やって良かったのです。
 ちょっと信じがたいような校正ミスも見つかりましたから。

 校正したなかで、初版を読まれる人にお詫びして訂正しておかねばならない場所を、あらかじめ下記に記しておきます。

p24 (誤)百九十三か国ある(二〇一二年十二月現在)
    (正)百九十三か国ある(二〇一一年十二月現在)

p69 (誤)こんなことは書けない、書かないが
    (正)以下のことは書かないが

p75 (誤)つい二〇〇〇年の
    (正)ついに二〇〇〇年の

p81 (誤)柏崎・刈羽原発
    (正)柏崎刈羽原発

p92 (誤)車がやや乱れたで見渡す限り並んで…
    (正)車がやや乱れた縦列で見渡す限り並んで…

p102 (誤)四日後
     (正)二日後

p106 (ルビの誤り)ひろのちょう
      (ルビの訂正)ひろのまち

p170 (誤)一万二千人 ※2箇所
     (正)一万三千人 ※2箇所とも

p197 (誤)立ち尽くして、いると頭の中に
     (正)立ち尽くしていると、頭の中に

p223 (誤)栗林忠道大将中将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から戦死後に大将に昇進)
      (正)栗林忠道大将(硫黄島の戦いの最終段階で中将から大将に昇進)

p224 (誤)中将 ※2箇所
     (正)大将 ※2箇所とも

p259 (誤)国会議員も沈し
     (正)国会議員も沈黙し

 特に、栗林さん、栗林閣下をめぐる箇所での校正ミスには驚き、すこしショックでした。
 これは、ぼくのパソコン上の原稿で消したはずの「中将」という言葉と「戦死後に」という言葉が、出版社に渡った原稿ファイルではなぜか消されていなくて、そのままゲラとして印刷され、出版社の校正でも「大将中将」という不可思議な言葉が見逃されたものです。
 最終的には、すべてぼくの責任です。
 深くお詫びします。


▼すこし落胆していると、青山千春博士が、いつも通りの平静な口調で「初版本の珍しい値打ちが出て、いいんじゃない?」と言ったので、多少は救われ?ました。
 救われてはいけませんね、ごめんなさい。

 こんなことを申して恐縮至極ですが、もしも興味のあるひとは、初版と重版を比べてみてください。
 ミスを訂正したほかに、ニュアンスを付け加えたところなどがあります。
 福島第一原発の所長だった吉田昌郎さんについては、本文中にわずかながら書き加えたところがあり、「重版のためのあとがき」にも、ひとことだけ記しました。


▼さぁ、すこし仮眠しようと思います。

 年末はまだ、独研から配信している会員制レポートが6本、残っています。
 さらに、原発テロを防ぐための専門家会議が複数あり、テレビ・ラジオも、関西テレビが大晦日の午後3時から放送する年末特番「青山繁晴の緊急提言 世界は動く!正念場の日本〜明日のニッポンを子どもたちと考える〜」の収録、テレビ静岡が12月27日火曜の午後4時半から生で放送する「年末回顧2011 あの日 そして 未来へ」への参加(出演)、ニッポン放送が元旦に放送するラジオ番組の収録などがあります。

 先日、ある大病院でおこなった人間ドックの結果が送られてきました。
 その悪さには、正直、呆れました。
 何もかも一気に悪くなっている。
 去年は、大腸癌をごく早期に見つけてくれた、同じ病院の人間ドックです。
 今年は、癌のようにすぐに手術が必要なものはなかったようだけど、去年は癌以外は、ほとんどすべて健全、ことしは癌はないけど、ほとんどすべて不健全…という結果です。

 今年は、いくら何でも無理を身体にかけすぎたナァ。
 そのなかで、愚かな中傷誹謗にもいくらかは対処していかねばならないのが、ほんとうに、情けないことです。

 ぼくは何も要らないのだから、せめて、祖国のためにささやかなりにやるべきことと、物書きとしての本来の仕事に、集中させてくれないかな。


▼写真は、いま出張に出ている長野県の空に見た、宵の明星です。
 こないだは明けの明星でした。
 凍りつく寒さのなか、救われるような光でした。
 画面の下の方、木立のなかに青いしずくが見えますか。



急告!です。「重版のためのあとがき」は全文、ここで公開します。

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▼きのう12月26日月曜、出張先の長野を朝5時半ごろに、社有車を運転して出発し、霞ヶ関で開かれた原発テロ防止のための公的会議に出席していたときのことです。
 独研(独立総合研究所)の総務部からEメールが入り、以下のように書いてありました。


〜「ぼくらの祖国」の担当編集者から電話があり、秘書室が対応しました。
 社長がブログで、「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」ということを記載しているため、一般の人から書店に問い合わせが殺到しています。つまり、自分は予約をしたが第1刷ではなく第2刷を購入したいということです。
 というわけで、「すぐにブログのその部分を消してもらいたい」とのことです。〜


▼「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」というのは事実に反します。
 ブログにも、そのように書いていません。
 このように書きました。

〜まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。〜

 初版には、「ふしぎの本」というタイトルの、あとがきがありますが、本が重版になるとき「重版のためのあとがき」をさらに記すのは、出版の健康な常識、あるいは出版というもののちょっとした愉しみとしてあります。
 そのため、ぼくからこの「重版のためのあとがき」を書きたいと編集者に申し出て、「400枚詰め原稿用紙で(わずか)6枚までなら」という条件でOKとなり、書きました。

 これは、あくまで「あとがき」であり、本文に「修正追記した」のではありません。
 また、前述のように6枚という短いものですから、金正日総書記の死去や北朝鮮の今後について本格的に分析したものでも、全くありません。


▼そもそも、この「ぼくらの祖国」には、なるべく時事的な話題を入れないという基本的な考えが、著者のぼくにありました。
 このことは編集者にも一切、相談などしていません。なぜ、この本を書くのかという、ぼくの根本的な動機に関わることであり、著者がみずからすべて決すべきことだからです。

 時事的な話題はどんどん情勢も事実関係も認識も変化します。
 この本は、2千年を遙かに超える永い歴史を持つ祖国とは何かという根っこについて、できれば子供から大人まで、伝わる人には伝わってほしいという願いで書きましたから、変わるべきもの、色褪せるものはなるべく入れないようにしたのです。

 したがって、たとえば福島原子力災害についても、除染の具体的なことや、放射線障害を正しく避けることなどについては、別書に譲り、作業員の眼の輝きをはじめ、祖国と人間の根本的な生き方に絞って書いています。

「あとがき」であっても同じことであり、金正日総書記の死去は、あくまで、きっかけとして扱っているだけです。


▼原発テロ防止のための会議は、ふたつ連続であり、延々と5時間近くを要し、その後すぐにチャンネル桜の「答えて、答えて、答える」の、今回は辛かった(…)収録があり、そのために遅くなりましたが、担当編集者と電話で話しました。
 このひとは、もちろんお世辞は一切なく、ほんとうに誠実なひとです。

 ぼくは「個人ブログにいったん記したことは、自分の事情では、消さない。それが、現在のぼくなりの原則です。今回も、消したりはしません」とまず告げました。
 それから、著作権を持つ作者として(ちなみに出版社には版権があります)、「重版がもしも実際に出れば、この、重版のためのあとがきを個人ブログで全文を公開したい」と申し入れ、即、合意してくれました。

 また「消してくれ」と頼んだというのは、この編集者の真意でなかったそうです。


▼みなさん、もう一度申しますが、「重版のためのあとがき」は、実際に重版が出た場合は、そのままここに全文をアップします。どなたでも読めます。
 また、本文に影響を与える「あとがき」でもありませぬ。
 したがって書店を「大混乱」させる問い合わせは、なるべくなら避けていただけませんか。(書店からは、大混乱が起きているという悲鳴が編集者に寄せられているそうです)


▼なお、本文中の誤植については、初版本に付きものの「正誤表」と受け止めていただいて、これを理由にした予約変更は1件もなかったそうです。
 ぼくは前作でも、ネット上に、つまりこのブログに正誤表に当たるものを公開しましたが、そのときと同じ理解をなさった書き込みも今回、たくさんいただきました。
 深く感謝します。

 この地味ブログには、誤植の存在を「12箇所もある」と強く非難され、予約された初版本について「出版社の意地汚さが透けて見えるような『不良品』は届き次第、捨てることにします。第2版はもちろん買いません。AKB商法のカモになどなりたくありませんから。」と記された書き込みが1通だけありました。

 出版社とぼくは、祖国を甦らせたいという志で一致したから、出版に取り組み、3年半のあいだ難航し、最後の約束が「年内に出せるのなら、もう一度、取り組もう。ずるずると年明けになってしまうのなら、ご破算にしよう」という人間同士としての約束から、ぼくだけが徹夜したのではなく関係者がみんな、ぎりぎりと努力しました。
 その結果、ミスが出たことを深くお詫びします。

 ただ客観的な事実として、あるいは残念な現実として、世には、海外でも、正誤表が数ページに及ぶ、すなわち訂正箇所が50、60箇所とある初版本もそう奇異ではありません。
 12箇所が少ないということでは、ゆめ、ありません。今回、誤植と言うべきものは正確には11箇所ですが、二桁に達しているのは無念です。
 どうにも不思議なもので、ゲラで見ていると分からなくて、本になってみると目が覚めるように分かる誤植が存在してしまいます。
 もしも可能でしたら、たとえばウィキペディアの「初版」および「正誤表」をご覧になってみてください。もちろんウィキですから、ひとつの見解に過ぎませんが。
 それでも、この方がおっしゃっているように「1、2箇所」に抑えるべきです。
 もう一度、叩頭してお詫びします。

 このかたは、誤植だけではなく、重版で文章を変えたところがあるのも激しく非難されていますが、これには異論があります。
 たとえば、日本文学のもっとも良質な継承者であった井伏鱒二さんは、版を重ねるたびに、全面書き換えと言ってもおかしくないほど直そうとされましたが、それは編集者にとっては困りものでも、書籍としては良心の証しです。

 そのうえで、お一人といえどもこういう意見があったことは本質的に尊重し、この書き込みについては別途、このブログでお答えします。
 そのうえで、考えにお変わりなければ、できれば予約をキャンセルなさってください。一冊、一冊、ぼくと編集者と、校正スタッフを含むすべての関係者の祈りが籠もっています。
「捨てる」ということだけは、「本」というものの未来のためにも、なさらないでください。こころからお願いします。


▼なんやかやで、きのうは辛い一日、けさは哀しい朝です。
 チャンネル桜のことなども、またあらためて書きましょう。

 さぁ、きょうは静岡へ出張です。
 どうということはありませぬ。
 命は、もともと、滅ぶべきものとして悲痛なるものであり、そこからこそ私(わたくし)を超えるものを、ささやかに見出して、あとに続く命に渡すのが使命でしょうから。


長年、続けてきたブログですが……

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……記事をアップするには時間が掛かります。
 すべての原稿を書くときと同じで、伝えるべきを伝えようと、一字一句を丹念に記していきますから。

 ところが、たとえば先ほどのエントリーの後すぐに、そのエントリーのコメント欄に「それじゃ、予約しているけど、第二版にしてくれと書店に交渉することにした」という趣旨の書き込みがありました。
 ぼくを落胆させようという意図があるとは思いません。
 悪い冗談で書かれたのでもないと思います。
 コメントしたかたの善意は疑いません。

 ただ、意は全くと言っていいほど伝わらないことも多いですね。
 それから、コメントを書かれているうちにご本人がご本人の言葉に刺激され、昂奮されていったことが、ありありと分かり、主義主張以前の問題として、どんどん事実とかけ離れていく、激昂の書き込みと言うほかないものも必ず、あります。

 それは、どのブログでもそうなのでしょう。
 そして、力づけられる、勇気づけられる書き込みも沢山あります。

 けれども、ぼくもいい加減、時間配分を考えないといけませんね。
 いま新幹線の駅ですが、途中、大病院に寄って、人間ドックの結果に基づく医師と看護師さんのアドバイスを聞いてきました。
 きわめて強いストレスと、激務と、極端に短い睡眠時間に対して、「心身のストレスに異常なほど強力に耐えられる力で、ぎりぎり持ちこたえている崖っぷちの情況が、あまりにも明瞭に出ています」と医師はおっしゃり、ぼくのデータを克明に見ながら「大腸癌もあとかたもなく克服していますし、体内年齢は34歳、今年は重症肺炎も患ったのに肺活量は4500CCあり、年齢平均より3割増しです。しかし、その体質でなければとっくに死んでいたというだけの話であって、人間の限界をはるかに超えています。短い睡眠時にも、リラックスできていません。睡眠のようすの精密検査のために年明けに1泊だけですが入院してもらいます。仕事と生活ぶりを変えるべきです」という趣旨を、丁寧に誠実に、おっしゃいました。
 さて、アドバイスに従うのなら、何かをやめないといけません。

 意が伝わらないのは、ブログというものの性質もあり、そして、最終的にはすべてぼくの責任です。
 だから、続けるかどうかも、当然ながら、ぼくが判断すべきです。

 ブログという言葉が世に現れる前から、この On the Road というネット上のエッセイは続けてきました。
 われらみな途上にて、という含意と、この一筋の道を行くという含意を込めて、ずいぶんと前に命名しました。

 別れ道が来ているのかもしれません。
 よく考えます。
 ちなみに、「ぼくらの祖国」も重版は決定ではありませぬ。
 初版がなくなれば、という当たり前の予定があるだけです。初版が残れば、そこまでです。
 そのときは「重版のためのあとがき」を、「見ずに終わった重版のためのあとがき」にタイトルを変えて、このブログにだけはアップして、そしてブログも永遠に閉じる…先にあるのは、これかも知れませんね。ふひ。

 凡て、ぼくの責任です。
 凡て、という字は好きです。全て、というより人間世界の現実に合っていると思います。
 人間のやることが全てをカバーできることなんてあり得ない、しかし、ほんわかと、ほぼ全体を指しましょう、欠けているところが沢山ありながら、それでもほぼ全部のつもりでいましょう、だから「凡て」という字があるのです…という日本語の懐の深さを感じます。

 日本語はいいですね。
 ブログだろうが書籍だろうが、日本語こそ、ぼくらの祖国です。




とりあえず

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▼この地味ブログを続けるかどうかをめぐって、ちょっと信じがたいほど沢山のコメントの書き込みをいただいています。
 すべて読みつつ、年末のぎりぎりも、独研(独立総合研究所)から会員制で配信しているレポートの「年末特集」の取材と執筆を続けています。


▼さて、とりあえず、お知らせしておきます。

▽大晦日は、関西テレビの特別番組「青山繁晴の緊急提言 世界は動く!正念場の日本〜明日のニッポンを子どもたちと考える〜」が午後3時から4時15分まで放送されます。

 ぼくが初めて「メイン・パーソナリティ」を務めます。
 スタジオには、10歳から18歳までの小中高生を招き、質問に答え、対話します。
 大人のパネラーも、水道橋博士、海原やすよ・ともこさん、滝沢沙織さんが質問などをされ、進行役は山里亮太さんと関テレの杉本なつみアナです。

 これは12月28日に、ぶっつけ本番で収録がありました。
 最初の北朝鮮の金正日総書記死去をめぐるコーナーが終わったところで、ディレクターから「青山さん、信じがたいでしょうが、すでに18分押しています」という衝撃のひとことが、苦笑とともに耳打ちされました。
「押す」というのは、テレビ用語では、予定の時間より遅れていることです。(ちなみに予定より早く進行していると、「巻いている」となります)

 ふつうの番組収録では、時間に合わせて進めることが何より欠かせないのです。
 しかし、この特別番組ではあらかじめ「段取りがどう、よりも、この祖国をどうするのかという熱気を大事にしよう」と関テレのプロデューサーやディレクター陣と話しあっていました。
 そ、それでも最初から18分も押していると、収録が完結しない…。

 ところが、そのあとの福島原子力災害をめぐるコーナーでも、大阪都構想のコーナーでも、TPPのコーナーでも、そして拉致問題のコーナーでも勢いが止まらず、どんどん行ってしまいました。

 少年少女にも読んでほしいと出した新刊「ぼくらの祖国」が3年半の苦渋のあとに世に出た、ちょうどその時に、青少年とぶっつけ本番で一緒に考える番組が偶然にも収録となった、その不思議な巡りあわせに、胸のうちですこし感激し、深く感謝していました。

 それにしても、スタジオに集まってくれた少年少女の眼の輝きに励まされ、何より、その質問がしっかりしていること、ちゃんと自分の意見を持っていること、他人からの借り物ではない本物の問題意識を抱いていること、そして「すべてのニュースは根っこで繋がっている。だからこそ、自分の頭で考えよう」という、ぼくなりのささやかなメッセージが、ちゃんと少年少女に届いて理解されたことに、こころの底から、感嘆し、こころの底から嬉しかったのです。

 こんな経験は初めてです。テレビ番組の収録で勇気づけられた。
 こんな立派な少年少女がいるのだから、みなさん、本気で日本は大丈夫です。

 大人のパネラーも、かつて関西テレビの「2時わくっ」という番組で一緒だった海原やすよ・ともこさんが、もうテレビということも忘れた感じで身を乗り出して熱心に聴いてくれたり、楽しかったです。

 生放送ではなく編集されますが、少年少女の素晴らしさが伝わることを、願います。
 もしもよろしければ、少年少女のためにも視てください。


▽元旦の午後7時半からは、ニッポン放送で「青山繁晴のサンデー ズバリ!ラジオ」が午後8時半まで放送されます。
 ぼくはラジオを前からやりたかったので、こちらの収録(12月29日)も愉しかった。

 ニッポン放送のとても人柄のよいアナウンサー、飯田浩司さんと一緒に、北朝鮮に2012年、日本外交がどう対峙していくか、福島原子力災害を踏まえて日本のエネルギーをどうしていくかなどをトークして、それから新刊の「ぼくらの祖国」について飯田さんの質問に答え、さらには、趣味のなかでモータースポーツについて話し、1曲だけですが、ぼくの選んだ曲もかけました。

 飯田さんは「ぼくらの祖国」をしっかり読み込んで、さらに福島原子力災害も、発表されたばかりの政府の事故調査委員会の中間報告書を読んだうえで、収録に臨んでいました。
 温厚なかたですが、やることをしっかりやる姿勢に、共感しました。

 ニッポン放送ラジオでは、1月からスタートする新番組「ザ・ボイス」の木曜日に、レギュラー参加(出演)します。
 これは生放送なので、最初のうちは、先に決まっていた講演などのために参加できなかったりしますが、1月19日木曜の午後4時には、お耳にかかれます。


▼写真は、きのう12月29日の午後、東京・有楽町のニッポン放送スタジオで収録した時です。
 ちょっと分かりにくいでしょうが、向かって右が飯田アナ、左の赤いフリースを着ているのがぼくです。フリースは、こないだサンフランシスコで国際学会(AGU)に出たとき、衣類の安売り店「OLD NAVY」で買いました。日本円で、数百円ぐらいです。千円しない。
 耳には、これも分かりにくいでしょうが、ガラスの向こうのディレクターの声が聞こえるように、レシーバーを掛けています。

 …とりあえずのお知らせでした。
  みなさんが穏やかな年末を過ごされていますように。


訂正です。

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下の書き込みにある「元旦」は「元日」の間違いです。
元旦は、元日の朝ですから、夜のラジオ放送が元旦のはずはありません。
コメント欄で指摘があり、うっかり元旦と書いていることに気づきました。

賀正  *そしてサイン会をお知らせします (ひとこと字句を書き直しました)

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みなさん、明けましておめでとうございます。

 ぼくは黒ネクタイで年を越しました。
 ひとに押しつけたり、それどころか、ひとにお勧めするつもりもゆめ、ありませんが、今年の3月11日に2万人近い同胞(はらから)の1周忌を迎えるまで続けます。
 そして、3月12日に黒ネクタイは外しますが、みなさんと同じようにぼくも生涯、2万人のかたがたを忘れることはありません。


▼この地味ブログを閉鎖するか、続けるかについては、新年のこの最初の月、1月のあいだに決したいと考えています。
 依然として、驚くほかない沢山の書き込みやEメールを、このことをめぐっていただいています。ありがとう、みなさん。
 このブログは個人ブログではありますが、戦う独研(独立総合研究所)の総務部も、意見を持っているようですから、その意見をもフェアに聴きつつ、最終的にぼくが決します。


▼書き込みの中で、たまに、ぼくの発信内容について「あれを訂正しろ、謝罪しろ」と要求なさるひとがいますが、ぼくは訂正しお詫びすべきことについては、リアルタイムですべて放送をはじめとする発信のなかで訂正し、お詫びしていますから、それ以外に訂正すべきことはありません。
 どれほど居丈高におっしゃっても、まったく無駄です。

 また、アンフェアな書き込みについては、それと判断した瞬間に、スパム通知を行ったうえで削除し、ぼくの胸中にいささかも残っていませんから、中傷誹謗の書き込みも、無駄です。

 無駄です、というのは嫌味で申しているのではありませぬ。
 実際に、無駄に終わります。
 こういう書き込みをなさるかたも、人生の時間、命の時間は、等しく貴重ですから、どうぞ時間を無駄になさらないでください。

 ぼくが気になるのは、実は中傷誹謗の書き込みよりも、あまりに自意識過剰の書き込みです。
 そうした書き込みは、ハンドルネームからして自意識過剰が感じとれる場合が多く、ご本人があまり気づかれてはいないかもしれない私心が、まさしく過剰に表れてしまっています。
 これも、そのひとのあり方、生き方ですから、こうした書き込みはスパム通知も削除もしていません。
 ただ、祖国の今後を考えると、こうした過剰な自己愛というものを憂います。


▼さて、みなさんはどのような年末年始を過ごされましたか。
 ことしは、暦の加減で年末年始のお休みが短かったから、疲れがとれていないのではないかと、いささか心配しています。
 ぼく自身は共同通信を辞めてから14年間、大晦日や元日を含めて1日も休んでいないので、この年末年始も同じでした。
 しかし、ふだんの週末も、みなが休みだとぼくもリラックスして、自分は仕事なのになぜか、胸のうちでは寛いで、なぜか、うきうきとしているのです。
 正直、この性格でないと、14年の無休生活は持たなかったと思います。


▼大晦日は、夜が明ける前から、レポートの仕上げに全力を捧げました。
 独研(独立総合研究所)から、志ある会員のかたがたへ配信しているレポートです。
 昨年は、ぼくの4つの大病と福島原子力災害などの影響で平均的な配信本数を11月末までに合計で7本、下回っていました。
 そこで12月は、最新刊「ぼくらの祖国」の完成に苦しみつつも、そのレポート7本と12月レギュラー分の4本、計11本のレポートの情報収集・執筆にも力を尽くしてきました。
 12月28日までに6本を会員へ配信しましたが、29日、30日の両日は配信することができなくて、大晦日のただ1日で5本を仕上げて配信せねばならないことになりました。

 ぼくのモバイル・パソコンは、情報量を多くするために字をとても小さく設定してあります。
 夜明け前からずっと集中して書き続け、朝を過ぎ、昼を過ぎ、夕を過ぎ、そして夜の9時ごろになると、ふだん視力の良いぼくもさすがに目が霞んで、急激に、ほとんど見えないなぁという感じになりました。
 上記のパソコンの設定のせいもあるのだろうから、せめて字を大きく設定し直せばいいのですが、こうして原稿に入り込んで集中していると、他のことは何もやりたくない、いや、やれなくなるのです。

 それでも、ここでやめるとすべてが水泡に帰すので、眼をこすりこすり書き続けて、そのあいだに久しぶりに集まった家族(息子ふたりが帰宅)と一緒に年越し・兼・クリスマスパーティをやり食事をいただきながらも書き続け、ようやくに夜11時45分にほぼ完了、配信に入って、「年内に不足分をすべて回復する」という全会員との約束を守ることができました。

 なにやら、「ぼくらの祖国」とそっくりなことが、昨年の年内にもう一度あったわけです。
「ぼくらの祖国」も、ほんとうは出版社と「年内発刊ができなければ出版自体を取りやめる」という約束になっていました。3年半も引っ張ったのですから、やむを得ないことでした。
 3年半といっても淡々と過ぎていったのではなく、原稿全文の〆切が設定される度に、出版社には編集者に加えて、校正・印刷などの全スタッフが徹夜で参集し、原稿が上がらず空しく解散するということを数え切れないほど繰り返してきたのです。
 出版社が「今年もずるずると年を越すわけにいかない」と判断したのは当然のことでした。
 編集者からはお詫びの言葉もありましたが、ぼく自身は、フェアな判断であり、今度は年を越さないというのは男の約束だと理解していました。

 しかしまぁ、こうやって、仕事上の絶対最優先の約束をいずれも果たしたうえで、西暦2012年、平成24年、日本のオリジナル・カレンダーの皇紀2672年の1月1日午前零時を迎えました。
 家族を含め、多くのかたがたの支え…そのなかには、ほんとうに励まされる書き込みをこの地味ブログにいただいたかたも沢山います…のおかげです。

 新年のはじまりに、あらためてお礼を申しあげます。


▼その「ぼくらの祖国」はとりあえず、サイン会が2つ、具体的に決まりました。
 京都と大阪です。
 東京でもきっとやれると思います。

 以下は、版元から来たメモをすこし短くしてアップします。

?1/22(日)14時〜
(JR京都駅前)「アバンティ・ブックセンター京都店」
 同店にて「ぼくらの祖国」お買上げの先着100名さまにサイン会参加整理券を配布中です。
   お問い合わせTEL:075−671−8987

?2/5(日)12時〜
(大阪・堂島)「ジュンク堂書店大阪本店」
 同店にて「ぼくらの祖国」お買上げの先着200名さまにサイン会参加整理券を配布中です。
   お問い合わせTEL:06−4799−1090

 お目にかかれるかたは、このサイン会でお会いしましょう。
 楽しみですね。


*写真は、きょう1月5日の夜明け前の散歩で、日の出を待つような表情の繁子です。
 繁子は、もちろん散歩が大好きだし、散歩に連れて行ってもらうのは繁子にとって、生きるうえでのたいせつな「権利」ともぼくは内心で思っています。堅い話ですから、ひとにはふだん申しませんが。
 そこで、忙しくとも、徹夜明けでも、出張などに出る前に散歩には連れて行きます。
 ちいさな身体いっぱいに喜んで、玄関を出るとき、くるくるくる回ります。
 今朝は、午前4時50分でした。
 冬の朝の、遅い日の出までにはまだずいぶんありますが、実際は繁子は夜の暗さをまるで気にしません。
 いつも前向きで、この小さき生き物に教わることが少なからずあるのです。

 みなさんもきっと、家族にペットがいらっしゃるかたは、同じように感じておられることと思います。
 みなさんの新しき年に、幸あれ。
 被災地に、光あれ。


現実と戦う (すこしだけ補足しました)

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▼ありのままに記します。
 きのう1月10日火曜の午後、出張で降り立った新大阪駅で、すこし大きい書店に寄りました。
「どこの書店に行っても『ぼくらの祖国』は、1冊も置いていない」というメールや書き込みを少なからずいただくからです。

 その通り、影も形もありませんでした。
 ネット上のアマゾン・ランキングで似たような位置(5位ぐらいから50位ぐらい)でご一緒している書籍は、どれもこれも山のように積まれていましたが、「ぼくらの祖国」だけは(…という印象)は、まったく存在していません。
 他の書店も、ほんの少しだけ覗いてみましたが、同じです。

 置いてあるのは紀伊國屋書店、三省堂、丸善・ジュンク堂など、とても大きな規模の書店に限られているようです。
 稀に、規模の大きくない書店に置いているケースもありますが、それはその書店の店主さんや店員さんの特段の努力によるものです。
 みなさん、ご不便をかけて、こころから申し訳なく思います。


▼版元が出された新聞広告に「重版決定」と大書してありますが、その重版での予定発行部数は5千部だけです。
 初版は1万5千部で、客観的かつ公平にみて、この出版不況のなかでは少なくはありませぬ。
 しかし、予約の段階から、みんなが志を持って、驚くほかないほど沢山の関心を寄せてくださったにしては(つまりロケットスタートを切った割には)、この重版は、これも客観的に申して、とても少ないです。
 冊数が足りなくて、書店に出回らないのは、むしろ当然です。


▼ぼくがこの書で試みた問題提起は、稚拙な問題提起ではありますが、まさしく祖国とアジアのために決して欠かすことのできない問題を扱ったことだけは信じます。

 その問題提起は、なかなか受け容れられないよ、簡単にはいかないよ、ということであるのかも知れません。
 版元がどうこう、ということではありません。
 いずれにせよ、せっかくのみなさんの強い関心に充分に応えている現状ではないことを、たいへん残念に思います。

 要は、命が続く限りは、現実と戦うということだけです。

 写真は、お正月に仕事をしながら、撮ってみた1枚です。
 大晦日に、長男と青山千春博士が、ぼくに新しい小さな赤いカメラを突然、贈ってくれたので、遠い夜景がどれほど撮れるか、やってみました。
 次男は、シャンパンを買ってきてくれました。
 この1枚には、たくさんの人々の暮らしの窓が映り込んでいます。
 みんな、みんな一生懸命に闘っています。

 ぼくの脈の一打ちがいつか絶える、そのときまで、一緒に歩けるひとは、歩きましょう。
 予約の段階から、「ぼくらの祖国」に関心を寄せてくださり、あらためて、深く感謝します。



「書店で手に入らなくて困る」というお問い合わせに答えます

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▼あくまでぼくの考えと責任で述べます。出版社には当然、言い分というか理由があるだろうと考えます。(ぼくの推察ですから、出版社の本音と一致しているとは限りません)

 たとえばある大規模書店の大分の店舗(支店)には、10冊が納品され、新刊書のところに山積みにしてくれているのですが、昨日現在、ただの1冊も買った人はいません。
 よく返品しないでいてくれるなぁ、我慢してくれているなぁ、この出版不況のさなかなのに、とぼくも思います。

 アマゾンをはじめ、ネット上では沢山の人が読んでくれていますが、やはり書店の店頭で買う人がいないと、出版社(版元)は本を刷りません。
 ネット上で売れていても書店で売れる保証にはならず、書店に冊数をそろえて並べても、それがさばけないと返本となり、返本は輸送コストなどがかかり、そのリスクを考えねばならないからです。
 この状態で増刷しても、ごくわずかな冊数ですから、結果として「どこの書店に行っても、ない。なぜですか。どうにかしてください」というEメールや書き込みがやって来て、ぼくも辛い、ということになっています。

 大分は単なる一例です(ただし実例)。
 逆な例もあります。
 ぼくが毎週水曜日に、生放送で自由に話している関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の放送地域以外でも、四国の高松や、東京の北千住あたりの店舗(支店)では、すでに全冊、売り切れています。
 しかし、前述したような理由で増刷が少ないから、売り切れの書店にも、なかなか次の本が並びません。これも結果として「青山さんの本は影も形もない。どうにかできませんか」というEメールや書き込みが、ぼくに届くことになります。
 残念ながら、ぼくは本を刷れないのです。
 出版社に無理を求めることもできません。前述のリスクを版元が考えるのは、避けがたいからです。
 書店で買うひとが増えれば、冊数が増えて、「手に入らずに困る」とおっしゃるかたが減る。今はその逆が起きている。それが事実の、ほぼすべてです。

 現在はその影響がネットにも波及して、ネット上でも品不足となり、一部のサイトでは手に入らない状態がすでに起きています。
 このまま行くと、今後はネットであっても、どこのサイトでも手に入らないということが間もなくやって来るでしょう。
 すると、今のところぼくの出したただ1冊の純文学小説である「平成」(文藝春秋)が現在、書店はもちろんネット上でも手に入らず、ネットの中古市場で目を剥くような高値が付いてしまっている…それと同じ道を辿ることにもなりかねません。


▼「ぼくらの祖国」は文字通り、ぼくの命そのものを削りました。そうやって、世に出しました。
 日本の国家と国民に、これだけは告げておきたかったからです。
 稀少本をつくったのではありませぬ。
 1人でも多くの同胞(はらから)に、ちいさな問題提起をしたいと思いました。
 手に入らない珍しい本は、ぼくも大好きですが、「ぼくそこ」は目的、目指すものがまったく違います。

 発売からまだ2週間も経っていません。
 これからがむしろ本番でしょう。
 本来の役割を果たせるよう、祈るばかりです。ぼくに宣伝はできませんから。

 ただし、現状も、それから「平成」と同じ運命になろうとも、最終的に全責任はぼくにあります。
 最後には、宣伝もへったくれもありません。多くの人が読みたいと思う本を書けるかどうかは、一切合切、書き手のぼくの責任です。
 ぼくは、物を書くときに、データマンを一切使いません。ノンフィクションの本は実際には、出版社が用意した『データや情報を収集する要員』とか、あるいはご自分で頼んだ有償の協力者とか、そうした背景があって書かれることも多いのです。
 ぼくは書籍であれ、雑誌などへの寄稿原稿であれ、何もかも、おのれひとりで書きます。
 それは、独研(独立総合研究所)から会員に配信しているレポートでも同じです。この東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)については、会員そのものからも「青山さんの過大な負担を減らすために、独研の研究員の協力を得るべきだ」という意見も常にいただきますが、それは、しません。
 物書きとしての、ぼくの信念です。ほかの作家のかたが、どのように協力者を得て書かれようとも、一切、批判はしません。その人の選択だからです。
 同時に、ぼくの選択も貫きます。
 ということは、何があっても、誰のせいにもできない、責任を分担できない、自分ただ一人の責任である、ということです。


▼「書店で手に入らない」という書き込みが多いなかで、こんなひとことが添えてある書き込みもありました。
 
〜引用〜

「ぼくそこ」の精神を受け継いだもので・・・
童話だったり小説だったりがあってもいいかなぁ〜と思いました。

〜引用終わり〜

 ほんらいは、物書きは1冊をおのれの手から離して世に出して、公器としたからには、次の書にこそ取り組むべきです。
 童話と小説…いいですねぇ。
 まずは、7年間も抱えていて、実はかなり完成に近い短編小説の仕上げに、わずかながら取りかかっています。

 ただ、もうふだんの凄まじい日程が始まっていて、気力、体力、物理的な時間の確保、いずれも、なかなかハードです。
 しかし上記のひとことに、励まされるというか、気持ちが和(なご)みました。

 今日はこのあと、都内の病院で医師のアドバイスを受けてから、京都に向かい、講演し、そのままさらに北陸路へ向かいます。北朝鮮をはじめとするテロ行為の脅威を封じ込める実務です。

 誰も評価してくれない、みんなには見えないところで使命を果たすのが、独研(独立総合研究所)とぼくの、みずから選んだ任務です。


懸念がさっそく、現実になりました → みんなのサポートが凄い!

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▼アマゾンも在庫切れです。
 ただし、「一時的に在庫切れ」とあります。
 増刷分がすぐに入ってくるという意味でしょうね。

 その直後に「入荷時期は未定です」とあります。
 版元によると、17日には増刷分が出回る見通しのとのことです。
 ただし、たったの5千部です。


▼アマゾンが在庫切れになる直前、たまたまミクシィに以下のような書き込みがありました。

〜書き込みの後半から引用〜

書店で手にはいらないと(購入を希望されるかたが、このブログに)コメントする環境があるならネット書店で買えばいいじゃない、と思って扶桑社「ぼくらの祖国」ページにあるバナーを次々クリックしていったら、納期が…
もうすでに在庫があやしいってことじゃないですか。

発売2週間で1万5千部売れる本なのに、増刷5千?

機会損失も甚だしい。
刷るとなんかまずいことがあるんですか、とねじ込みたい気分です。

電子書籍なら在庫問題はないのになぁ…

場所と店名をあげて「ここで見かけた」と書きこむのは問題ありますかね?
これから買いたいという人の助けに少しでもなればいいのですが。

〜引用終わり。( )内はぼくのつけた注釈です。それ以外は原文のまま〜


 感謝します。
「ぼくらの祖国」を見かけた書店は、大規模、中規模、小規模、そして地域を問わず、どうぞ書き込んでください。
 ミクシィでもいいですし、この地味ブログでもいいです。
 このブログに来た場合、その書き込みはすぐに公開します。だから、書き込むかたの実名は書かないでくださいね。名前だけ削除して公開することは、システム上、できないのです。

→【2時間あと】

★来ました、来ました、みんなのサポートが凄い。どんどん公開させていただきます。
 トマトちゃん、まったく問題ありません。すぐに訂正されているのですから。貴重な情報なので削除などせずに、公開しますね。

★ミクシィの「青山繁晴 深淡生」というコミュニティにも、さっそく専用のトピを立ててくださっています。
 よければ尋ねてみてください。




かんしゃ(辛い補足をしました)

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▼品薄の「ぼくらの祖国」を置いている書店、みんながどんどん教えてくれて、あっという間に50件です。
 いま、出張から帰京する、最終に近い新幹線の車中でそれを確認して、カンゲキしています。
 今後も、「ここで見つけたよ。この書店だよ」という、その書き込みは、このエントリーにではなくて、このひとつ前のエントリーのコメント欄に書き込んでくださいね。


▼ちなみに、出張先の京都でぼくも書店を覗いてみましたが、例によって、影も形もありません。
 たくさんの志あるかたがたが視てくれている「スーパーニュース・アンカー」(関西テレビ)の放送地域で、ことごとく、どこを見ても、ただの一度も「ぼくらの祖国」を見ないのは、正直、辛いです。
 影も形もないのだから、「ぱらぱらとページをめくってみたい」と考えてくれたひとも、手に取りようもありませぬ。


▼あいま、あいまに、別件の興味深い書き込みも、もらいます。
 たとえば、こんなのがありました。

〜私はシゲさんの「超哲録」の完成と出版を願っています。〜

 うん、同感です。僭越なことを申せば、いずれ、思想の体系として世に提起していきたいと考えています。


(ハンドルネーム・ころんさん。ありがとう。考えあって、あなたの書き込みをアップし直しました)

かんしゃ その2  (光景をひとつ、付け加えました)

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▼土曜日の今日1月14日も、いつものように出張で品川駅にいます。
 新幹線の発車まで、珍しくほんのすこしだけ時間があったので、駅内の三省堂書店を2箇所、見てみました。
 やはり、影も形もありません。

「ぼくらの祖国」は、書の奥付にある正式な発刊日が2011年12月30日です。すなわち、まだ2週間強しか経っていません。
 そのあいだに初版1万5千部では、まったく足りなくなりました。おのれの書だから言うのではなく、この出版不況のなかでは客観的にみて間違いなくロケット・スタートです。
 しかし都心ど真ん中の、そして来客数の多い大きな駅の書店で、最初から影も形もない、配本されないというのは、どう複眼的に見ようとも異常です。

 アマゾン・ランキングで同じような位置にあった他の書は、ぼくが見たすべての書店で、常にたくさん並んでいます。
 そのアマゾンも「在庫切れ」になり、しかも「入荷時期は未定です」と表示されたままです。重版となっているのに不思議ですね。

 これが現在の出版界のひとつの現実であることが、おかげで、よく分かりました。
「ひとつの現実」です。すなわち、「祖国」などという言葉を使わない本は、版元が小さくても、たくさん並べられています。だから「ぼくらの祖国」がぶつかっている異様な壁は、出版界の、ある断面です。

 ぼくは出版界(の一部?)に、思い込み、誤解があると思います。
 芸能本とか、あるいは経済的な話題に絞った本とか、そういう本しか日本国民は買わない、という思い込みです。
 推測ではありませぬ。
 実は、複数の編集者に、上述のような状況について彼らの現場からの意見をしっかり聴いた結果です。(版元の編集者ではありません。客観的な立場の人たちです)


▼日本国民を、不当にも愚民扱いにして、「本」の将来はあるでしょうか。
 そもそも、そうした書にしか国民の関心が無いというのなら、なぜロケットスタートになったのでしょうか。
 それは誰でも思うことですが、出版界には、「その分だけしか読者はいないのじゃないか。後はパタリと買う人がいなくなるのじゃないか」という、これも思い込みがあるのです。
 もちろん、このことも、推測ではなくヒヤリングの結果です。

 つまり、祖国のことを考えて本を買ったりするひとは、ごくごく一部の国民に過ぎなくて、そうした超少数派がたまたま初版を買っただけであって、大多数の国民は、そんなことには無関心だという考えが、背景にあるのです。

 単に、1冊の本の扱いがどうこう、という問題ではなさそうです。

 ここまで分かって、ぼくは初めて胸のうちで、憤激しています。
 日本国民を勝手に貶めるな。
 みんながどれくらい、祖国を憂えているか。その志を知らないのか、信じないのか。


▼こうした社会だからこそ、「あの書店には置いてあったよ」と、みんなが書き込みを寄せてくれていることが、どれほど尊いか。
 かんしゃしても、感謝しても、しきれないぐらいです。

 この後も「あった!」という情報は、ふたつ前の書き込みにお願いします。こうした、ちいさな抵抗をみんなで共有することが世直しには欠かせないと考えるからです。


※さて、いま新幹線の車内にいます。
 乗車すると、ぼくの切符の指定席に、立派な紳士が座っています。
 これは良くあることです。ぼくは、ほぼ毎日、新幹線か飛行機に乗っていることもあり、自分の席に他人が座っていることは日常茶飯事です。そもそも人間に勘違いはつきものです。

 問題は、その後です。
 間違えて座っているひとが、若い人というか、「祖国」という言葉を学校でも家庭でも教えてもらえなかった立場の国民というか、それであれば、ほぼ例外なく「ごめんなさい」とおっしゃり、大急ぎで荷物も動かし、後始末もされます。
 ところが、今日のように、社会的地位が何年も何十年も前から、たいへんに高そうな人というか、日本は戦争に負けたんだから「祖国」なんて言葉を学校や家庭で教えちゃいけない、あるいは教える必要がないと考えて、敗戦後の日本をリードなさってきたんだろうなぁと思えるような紳士の場合は、こうならないことが少なくありません。

 きょうも見事にそうでした。
「ごめんなさい」は一切、無し、こちらが大量の荷物を抱え、揺れる車内でじっと立って待っていることなどお構いなし、不機嫌そうにゆっくりと、めいっぱい拡げていらっしゃった飲み物や食べ物を動かし…です。
 
 しかし、もちろん我慢します。実害はほぼないからです。すぐに座って原稿を書きたいので、ほんのすこしだけその時間が意味なく失われますが、世の中、自分の仕事の都合にそう合わせてくれません。体力、筋力はあるので、立って待っていたのも問題なし。
 困るのは、ふたつです。
 ひとつは、こうした方は時として、座席のヘッドレストにポマードの油がべったり付いています。それは、もちろん、自分できれいになさったりはしません。
 正直、キモチワルイ。しかし、露骨に拭いたりすると、その人に失礼だと思うから(…と言っても、その人の視界にぼくはもう、ないのだけれど)、目立たないように拭きます。
 きょうも、まったくそうなりました。

 もうひとつ困るのは、荷物棚の荷物を、面倒くさいのか動かしてくれないことです。
 これも見事に、きょうの紳士も同じです。

 我慢はしても、不当なことまでは許しませんから、きょうも丁寧に「棚の荷物も動かしていただけませんか」と頼みました。
 自分の重い、たくさんの荷物を、自席から遠い棚に上げに行く理由がありませんから。
 きょうの立派な紳士の荷物は軽そうで、お手伝いをする必要もなさそうだから、お願いして待っていると、こちらを睨み「動かすからっ」と言い捨てて、ご自分が被害者かのようです。
 そして動かしません。
 だからもう、さっさとぼくが動かしました。

 目を開けて、よく切符を見てから乗ってください…とは、決して申しませぬ。
 年齢もあって目が悪い人もいるかも知れませんから。

 しかし、ぼくらが生きている敗戦後の日本社会では、若い人でマナーがほんとうに悪い人には、ぼくは滅多に会ったことがない。
 一方、敗戦後の日本のあり方を決定づけてきた、築いてきたと思われる人で、もうびっくりするぐらい根本的にマナーの悪い人には、年中、お会いします。

 こういう人が、「祖国がどうのこうのなんて、そんな本を身銭を切って買う奴は、変わった少数派に過ぎない」と思い込んでいるビジネス界の、その中枢にいるのではないかと、それをぼくは懸念します。

 ぼくらは、戦争に負ける前の日本、ぼくらが学校教育では「軍国主義の日本」、「野蛮な日本」と繰り返し、繰り返し刷り込まれて教えられた、戦前の日本を、知らない。
 だから分かりません。
 分かりませんが、かつてはこういう人は、社会の成熟した層の中には逆に、あまりいなかったのではないかと考えてしまうのです。

 日本が、永い歴史のなかで、たった一度だけ戦争に負けてから、ことし67年目です。
 憲法も、国家への見方も、歴史のとらえかたも、教育のありかたも、その67年間に作られた偽物を、打ち破る秋(とき)は来ています。

 だから壁が何であれ、「ぼくらの祖国」は書くべき書物だった、書いてよかったと、くだんの紳士が前席でシートを目いっぱい倒している狭いなかで、考えています。
 ふひ。



みんなのちから

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▼みなさんの支えは、もの凄いです。
 ささやかな新著、「ぼくらの祖国」を買える書店を、この地味ブログを通じて紹介してくださるひとは、どんどん増えています。


▼ゆうべ、ある外国人の書き手と、テレビ局で一緒になりました。
 アマゾン・ランキングで近い位置に並ぶことの多い(多かった)新しい本を出したひとです。
「出版社5社を回り、初版を5万部出すと言った出版社を選んだ。実際に、売れるかどうか分からない段階で5万部以上、初版を刷ってくれて、営業も努力してくれて、書店にいきなり山積みになって目立だったのが大きかった。もうとっくに10万部以上が出ましたよ」ということでした。

 こういう努力の仕方も、もちろん、あるでしょう。
 しかし、それはぼくは選択しません。

 まず、出版社、会社よりも、人間です。
 すなわち編集者が、ノンフィクションの本であれば、祖国とみんなのことを嘘でなく考えてくれているひとかどうか、あるいは文学書であれば、日本文学の現在と未来をプロフェッショナルとして考えているひとかどうか、それが第一です。

 そのうえで、まともに書店に並ぶよう編集者と努力する。
 これだけです。
 上述の外国人の書き手のかたには、「Congratulation ! 」(おめでとうございます!)とだけ申しました。
 まるまる本心です。書き手としては、そりゃ、たくさん読まれたら嬉しいですよ。
 この人なりの努力が実っていることに、こころから祝意と敬意を表明しました。


▼アマゾンも在庫切れのまま、しばらく放置されているかのような情況でしたが、きょう1月16日月曜の午前に、ようやく在庫が戻りました。
 このあいだにランキングは、たとえば、この外国人の書き手の本よりも、はるか下に落ちてしまいました。
 そりゃ、当然です。アクセスしても買えないのですから。

 ランキングは、ただのランキング、大したことじゃない。しかし、みんなが案外に見ているのが、このアマゾン・ランキングですから、みなの勢いが削がれるのが、ちと、心配でした。

 書店に行けないひと、それはたとえば足の具合の良くないひとや、書店が遠いひとも沢山いるのですから、とりあえずアマゾンを含めネット書店に在庫が戻っていくのは、ほっとしました。

 ありがとう、みなさん。
 これも間違いなく、みんなの力のおかげです。

みんなへの感謝のひとつとして…

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…あまりお礼にもならないけど、さきほど伊丹空港の書店「スカイブック 大阪空港店」(搭乗口の中の書店ではなく、ANAとJALのそれぞれ1階ロビーの間の書店。だから飛行機に乗らない人でも入れます)に、飛行機に乗る前のわずかな時間でしたが、立ち寄って、平積みされていた「ぼくらの祖国」9冊にサインしました。

 うち1冊は、そこに居たかたがお母さんにプレゼントするということで、すぐ売れたので、あと8冊あります。

「ぼくらの祖国」を書店で見たのは、実にこれが初めてです。
 この書店は、前作の「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」もしっかり並べてくれていて、サインしたので、今回もあるかなぁと思ったのです。

 あって良かったです。
 みなさん、引き続き、熱心に情報を寄せてくださって、ありがとう。
 なかには、このためにわざわざ多くの書店を回られた人も複数いらっしゃって、こころから感謝しています。


あえて記すほか、ありませぬ ★ 大事な追記の追記があります!

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▼大阪で、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の生放送に参加(出演)した帰途、伊丹空港の書店で、読者へのこころを込めてサインをいたし、帰宅。
 帰宅しても、すぐにテロ対策の仕事にかかったけれど、帰宅したという事実だけで、気持ちはいくらかホッとする。

 ところが、膨大な量のEメールをチェックしていると、「ぼくらの祖国」の編集者から青山千春博士に「東京でのサイン会は調整できませんでした。申し訳ありませんでした」という連絡のあったことが分かりました。

 愕然としました。
「ぼくらの祖国」のサイン会は大阪と京都での開催が決まっているけれど、東京、横浜をはじめ首都圏でもサイン会をやってほしいという、Eメールや、この地味ブログへの書き込みはたいへん沢山、来ていて、当初から編集者に開催への調整をお願いしていました。
 しかし、連絡がなく、こちらから問い合わせる度に「待ってください」という答えが繰り返され、その挙げ句にいきなり、NOの回答。

 みんながどれほど、がっかりすることか…。
 それなのに理由も何も説明がなく、そもそも仮に1月、2月が調整つかなくても、今から全面的に諦めてしまう理由が分からないから、編集者に、それらを問うEメールを出しました。


▼やって来た返信のなかに、こうありました。
「100名近くの集客がある程度保証されるのなら、3月の開催でも書店さんを説得できると存じます」

 編集者は、長文のEメールのなかで「1月、2月の開催を調整できなかった」という理由をいくつも挙げていました。それは、いずれも納得できるものではありませんでした。
 しかし、それを言っていても仕方がない。
 たいせつなことは、書き手であるぼくと、読者であるみなさんがサイン会でお会いできるかどうか、それだけです。
 共に祖国を考える同士が会えるかどうか、それだけです。

 100人以上のかたが、いやほんとうは200人以上のかたが、参加の意思を版元に伝えてくださるだけで、道は開けるかもしれません。

 ふだんであれば、このように書くと、版元に迷惑がかかるから決して書きませんが、今回は版元の編集者から「100名近くの保証」と明言されているのですから、あえて記しました。


▼違う版元から前作が出版されたとき、東京の八重洲ブックセンターで、ミニ講演付きのサイン会を開き、凄い数のお申し込みがあり、当日はもちろん満員で、みんなの志も高く、素晴らしく盛りあがりました。
 版元、それから書店のかたがたの取り組みも、ほんとうに誠実でした。

 前述の報道番組「アンカー」の放送地域である京都でも大阪でも、楽しく交流して盛りあがりましたが、放送されない東京でも同じだったのです。

 しかし、その前作と「ぼくらの祖国」を比べると、比較にならないほど「ぼくらの祖国」のほうが読者の関心、売れ行きは、より高レベルなのです。
 それがどうして今回は、これほどまでに不可思議なことが起きるのか。
 編集者の誠実さは、前作のときのひとびとと、変わりません。あくまでも信頼します。

 祖国が甦る、そのことを喜ばない力も、もしもあるのなら、それとぼくらは戦うほかありませぬ。


 1月19日木曜日 午前4時25分


※追記の追記

 この下にある「追記」では、扶桑社の公式HPから連絡先を、このブログに転載しました。
 ところが、電話番号について「ここじゃない」と言われたり、たらい回しにされたりしているようです。
 読者のかたからの情報では、「扶桑社03-5403-8887にかけ、担当編集者の田中亨さんに回してもらうように、と言われた」ということです。田中さんが不在の場合は、伝言として預かってくれるそうです。
【→実際に、ぼくがかけてみると、確かに扶桑社に繋がり、田中さんは不在でしたが、伝言を預かってくれました。】

 Eメールも、書籍編集アドレス qshoseki@fusosha.co.jp の方が良いかも知れないという、これも読者からの指摘がありました。
【→担当編集者の田中さんに、いちばん適切なメールアドレスを教えてくれるよう、上記の伝言で頼みました。】

 扶桑社のHPをいくら丹念に見ても、分かりやすい連絡先はありません。


※追記

 版元の連絡先をここに記すべきかどうか、長考しました。
 ほんらいなら、上記のような書き込みをアップした以上は、記すべきです。
 しかし、ネットで調べれば簡単に分かることでもあり、それをご自分でなさって意志を示されるかたの100人、200人は、ここにぼくが記した先に連絡されるかたより、さらに重みがあります。
 目的はただひとつ、実際に首都圏でのサイン会を実現することですから、より重みのある100人、200人の意思表示のほうがよいのではとも考えました。
 ただやはり、書き込んだ人間の責任を小さきことであっても全うするほうが、たいせつです。
 したがって、扶桑社の公式HPからの情報を下記に転載しておきます。

■書籍・雑誌販売に関する問い合わせ →上記の「追記の追記」で述べたように、ここに転載していた電話番号では受け付けてくれないようなので、番号を削除しました。

■広報宣伝 Eメール senden@fusosha.co.jp

今…

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▼…岩手県に向かう新幹線のなかです。
 雪は思ったほど深くありませんが、まもなく新しい3月11日を迎える東北の地を、車内からも見つめています。
 独研(独立総合研究所)の総務秘書室第二課から、秘書が同行しています。彼女は新幹線車内でも休むということをしません。ずっと仕事をしていて、ちょっと心配になるぐらいです。

「ぼくらの祖国」の担当編集者から、「東京でもサイン会をやることを版元として決めました」という連絡がありました。
 100%、みんなのおかげです。
 どれほど感謝してもしきれません。

 ただし、ぼくはこの件に関して、上記の連絡があっても何ら、一切、安心していません。
 まだ何も具体的に決まっていません。

 さらに読者のなかに、首都圏の書店がどのようにサイン会の申し出を受けたか、実際にそうした申し出・調整があったのかを克明に、かつフェアに調べたかたがおられます。
 まったくの無償の、志と友情に基づく、たいへんな努力です。
 そして、その調査の結果には、愕然とするものがあります。
 話が前進しているという客観的な兆しは、ありません。
 そして、みんなのサポートがある前の実情は、耳を疑うものです。


▼編集者の連絡に感謝しつつ、あくまで客観的な視点で、現時点での事実を書き記しておきます。
…あと20分で、岩手県内の駅に降り立ちます。

いま伊丹空港で…

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…いつもの書店に寄りました。
「スカイブック」(大阪空港店)ですね。

ぼくが前にサインした「ぼくらの祖国」は翌日に、すべて売れてしまったそうです。
きょうもサインしようと思ったら、その後に配本がなかなか、なくて、きょうは影も形も一冊もありませんでした。

しかし店員のかたは「間もなくどっと入ってくるんです。もう数日の内です」とおっしゃるので、それでは、と考えて、色紙にサインしました。
たぶん、先着一名様で、次の配本分を最初に買ったかたに、特別プレゼントとして渡されることになると思います。

ぼくは、ほんとはもっと色紙にサインしたかったのですが、書店のかたは、おそらく異例のことだからでしょう、「とりあえず1枚で」とおっしゃったので、そのようにしました。
この店員のかたは、とても誠実なひとです。
前にサインした時には、彼のお母さまのためにもサインしました。

「スカイブック」は飛行機に乗らなくても行ける書店です。
ANAとJALのターミナルの真ん中あたりの1階にあります。

男気のひと、たかじんさんの元気な恢復を魂から祈り、信じています。

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▼この地味ブログは、当面は、継続します。
 なぜ閉鎖を考えたかは、あらためて、お話しします。

 その際、この個人ブログに来ている書き込みのうち、▽女系天皇について間違った思い込みに依って強く非難している書き込み、▽テレビ番組での言い間違いに「ごめんなさい」とその場で申したことについて、ご本人が聞かなかった? 聞き取れなかった?ために「謝るべきを謝らない人だ」と人格を否定するかのように非難している書き込み…など(順不同)について、考えを述べます。

 元旦から凄まじい忙しさですから、いつアップできるかは分かりません。
 いずれも、ほとんど考えを書きあげています。
 念には念を期して、丁寧に見直しているだけです。
 怒りをできるだけ抑えるためにも、見直しています。


▼こころの底から嬉しいこともありました。
 一時期は版元から「できませんでした」とだけ告げられてしまった東京でのサイン会について、読者のみんなの強烈なバックアップで、開催が決まりました。
 100名だけです。関心のあるかたは(宣伝ではなく)お急ぎください。

 以下、書店のHPから転記します。

〜八重洲ブックセンターのHPから転記〜

「青山繁晴さんサイン会」
『ぼくらの祖国』刊行記念

扶桑社
『ぼくらの祖国』
税込価格 \1,680.- ISBN_13: 9784594061838

日 時:2012年2月12日(日) 14:00〜15:00
会 場:八重洲ブックセンター 本店1階サイン会場
定 員:100名
本店1階にてサイン会対象書籍をお買い上げのお客様に整理券を差し上げます。電話による整理券予約も承ります。
対象書籍:『ぼくらの祖国』(扶桑社)

※サインは当店にてお買い上げいただいた書籍に限らせて頂きます。当日は対象の本と整理券をお持ち下さい。
問い合わせ:電話 03-3281-8201(1階直通)
主催:八重洲ブックセンター /協賛:扶桑社


▼サイン会は、さらに調整中です。
 他でも開くことができそうです。


▼たかじんさんの食道癌での休養は、ゆうべの電話で知りました。
 その後、朝方に、初期であり、また声には影響しないということを知り、すこし安心しました。

 ぼくも去年の2月に初期の大腸癌を手術しましたが、甦っています。
 たかじんさんに、できないはずはありません。


独立講演会の次の1年

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▼良くいただく問い合わせのひとつが、「誰でも参加できる講演会の日程が知りたい」という熱心な問い合わせです。
 ぼくの講演会は、特定の聴衆を対象にする場合が多く、これは一般のかたは入れません。
 そこで独研(独立総合研究所)が主催し、先着順でどなたでも参加できる講演会を始めることにし、「独立講演会」と名付けてすでに実行しています。
 今年はさらに、あらかじめテーマを仮決めして、広くお知らせしておくことにしました。


▼以下は、独研の公式HPからの転記です。

〜転記の始まり〜


*独立講演会の中心テーマ(2012年4月〜2013年3月)

 2012年4月からの独立講演会の『中心テーマ』をお知らせします。
 聴講の参考にしてください。
 ただし、これはあくまでも仮の『中心テーマ』の設定です。
 日本と世界は時々刻々、動きますから、講演内容は柔軟に対応することを事前にご諒解ください。
 日程と会場が確定しましたら、改めてお知らせしますので、お待ちください。
 参加費用は、各回5千円です。


講演月      仮想定している中心テーマ

2012年04月  拉致をどうやって真に解決するか
2012年05月  消費増税をどう考えるか
2012年06月  日本の根本哲学を考える
2012年07月  TPP、財政赤字などなど政治の直面する現在のテーマを考える
2012年08月  原子力、メタンハイドレートをはじめエネルギーの現在、未来を
         考える
2012年09月  中国、韓国、北朝鮮、ロシアへの外交を考える
2012年10月  アメリカ、EU、そしてアフリカ・中南米を含む世界への外交を
         考える
2012年11月  日本の教育を考える
2012年12月  2013年を展望する
2013年01月  日本国民の新しい生き方を考える
2013年02月  内政と外交の根っこを統合することを試みる
2013年03月  拉致問題をあらためて考える


<問い合わせ先>
独研(独立総合研究所)講演会運営事務局
(担当:玉川)
※メールでのみ対応致します。kouen@dokken.co.jp

※独立講演会については、独研の総務部では対応しておりませんので、ご了承下さい。

〜転記はここまで〜


…みなさん、独立講演会で会いましょう。

3月3日のひな祭りに、女の子も男の子も、会いましょう

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▼ことしは元旦から、まさしく寸分の隙もないんじゃないかと溜め息が出るほど、日程が詰まっています。

 昨年も、福島原子力災害を含めて、言うまでもなく、目も眩むような忙しさでしたね。
 大腸癌の手術をはじめ大病を重ねて、二度ばかし、死の目前まで行きましたが、仕事を「休養」するということは正直、考えもしませんでした。
 その昨年は、締めくくりに、「ぼくらの祖国」を世に出すために年の瀬の5週間ほど、ベッドや布団に入らないということになったわけでした。

 まぁ、その甲斐あって「ぼくらの祖国」は扶桑社から昨年12月30日付(正式な出版日)で、出版されました。
 …ただし、書店にはなかなか並びません。
 アマゾンのランキングには現れても、書店で手に取ることができないという不可思議な情況がずっと続きました。

 このごろは、すこし良くなった…と思いたいのですが、きょう出張途上の関西国際空港でかなりの規模のある書店でちらり、見てみると、例によって影も形も、1冊も置いてありませんでした。
 アマゾン・ランキングでずっと一緒だった本は、これも例によって大量にありました。

「アンカー」(関西テレビの報道番組)の視聴地域の関西、そして人の往来の激しい空港に1冊も置かないというのは、やっぱり不可思議ですね。
 ぼくも本好きのひとりですが、本は、書店の店頭で手にとって、重みを感じ、印刷のかすかな匂いを感じるのが愉しみです。
 それが味わえないのは、ぼくも寂しいけど、読者のかたに申し訳なく思います。
 すべて、ぼくの非力のなせるわざです。


▼ただ、サイン会は、京都、大阪、そして東京と、みたび、行いました。
 特に東京は、出版社の担当セクションからいったん「無理でした。開けません」と氷のような返事が来たのを、みんなの声のおかげで、情況を覆して開くことができました。

 いずれの会場でも、何よりも、みんなの物凄い熱意、たったひとつの祖国を甦らせたいという意志に、ぼくは打たれました。
 そして、京都駅前のアバンティ・ブックセンター、梅田のジュンク堂大阪本店、東京駅前の八重洲ブックセンターの書店員のみなさんの誠実な支えに、深く感謝しています。

 たとえば大阪では300人のかたの「ぼくらの祖国」にサインしましたが、おひとり1分として、トイレ休憩なしで、5時間かかります。
 ぼくなりのポリシーというか、ささやかな信念があって、まず、その方のお名前を真ん中にいちばん、大きく書きます。ご家族と一緒なら、全員のお名前です。
 その右横には、自作の座右の銘を書きます。
 おのれの名前はいちばん小さく、かつ、なるべく崩さないで、誰の名前かちゃんと分かるように書きます。
 最後に日付を入れます。

 そして、写真のご希望があれば、写真を一緒に撮ります。
 握手は必ず、します。
 ハグのご希望があれば、しっかりとハグします。

 したがって、おひとり1分では、収まりません。


▼一筆書きのようなサイン、誰の名前か分からない、書いた本人だけ分かる?サインを書くだけにすれば、時間は、はるかに、はるかに短縮されます。みなさんにとっても、ぼくにとっても。
 腕への負担も、まったく違います。

 だから、そのやり方を選択する人は多いのです。その選択もまったく正しいでしょう。
 だけども、ぼくがいつも思うのは、「サインする側にとっては300のサインでも、サインを受け取られるひとにとっては、ただ1枚のサインかもしれない」ということです。
 
 これからも、読者の側に立ちたいのです。
 それは、ぼくなりのささやかな生き方、すべての仕事への取り組み方を貫いていく原則と、通じています。


▼さて、嬉しいお知らせです。
 新たに、4つめのサイン会が決まりました。もう、受付が始まっています。恐縮至極ながら、急がれた方がいいかもしれません。定員は多くはないですから。
 以下に、出版社からいただいたお知らせを掲げておきます。
 よろしければ、お目にかかりましょう。



【出版社からのお知らせの転載】

「青山繁晴さん 『ぼくらの祖国』(扶桑社刊)ミニセミナー&サイン会開催のお知らせ」


日 時:2012年3月3日(土)
13:00〜 ミニセミナー
14:00(予定)〜 サイン会

対象書籍:『ぼくらの祖国』(扶桑社)(定価:1680円)
会 場:阪急西宮ガーデンズ2階 特設会場(「多目的室」)
定 員:先着150名

参加方法:阪急西宮ガーデンズ4階 東モール「ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店」にて対象書籍を
お買い上げのお客様に参加整理券を差し上げます。
なお、お電話による参加整理券ご予約も承ります。

参加整理券配布開始:2/13(月)10:00〜
お問合せ・予約受付(代表電話)TEL:0798-62-6103
(ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店)
<ブックファースト・イベントHP:http://www.book1st.net/event_fair/event/

※なおサインは当店にてお買上げ頂いた対象書籍に限らせて頂きます。
当日は対象書籍と参加整理券を必ずお持ち下さい。

【転載、終わり】
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