
(10月13日午後3時15分、演台から了解を得て撮影)
▼きのう10月13日月曜・祝日の独立講演会(第34回)を京都で初めて開催し、写真にあるように、もの凄い数のみなさんが台風を突いて駆けつけてくれました。
欠席率、すなわち無念の欠席をなさったかたは2割台でした。ふだんの欠席率は1割までですから、やはり欠席率は高くなっています。
京都国際会議場の会場に入った瞬間、目を丸くしました。
広大な会場を、ひとが埋め尽くしています。
感激した第一声で、参加されたみなさんの志への深い感動と感謝をお伝えしつつ「参加できなかったかたがたのことをまず、一緒に考えましょう」と呼びかけました。
みなさんは共感してくださいました。
そしてぼくは「12月に京都でもう一度、この独立講演会を開催します。そのときは、今回、台風のために参加できなかったかたは全員、無償でご招待します」と述べました。
今回、参加費を払い込んで台風のために参加できなかったかたがたは、そのようにします。12月もお忙しいと思いますが、どうぞ、できれば、美しい京都の宝ヶ池で今度こそお会いしましょう。
ぼくは冬の京都がいちばん好きです。記者時代に6年間、住んでいたときの実感です。秋は紅葉が素晴らしいですが、修学旅行生をはじめ賑やかすぎるほど賑やかになります。京がほんらいの姿を取り戻すのが、冬です。
次回も名建築の京都国際会議場で開きます。
京都国際会議場のある宝ヶ池は、緑の深い、京都の別天地でもあります。
ここで、互いの眼をみて話しましょう。
▼独立講演会は毎月1回、開いています。東京と、関西および他地域を、交互に会場にしています。
この10月が京都でしたから、来月11月は東京(やがて募集が始まります。独立講演会のサイトはここ)の番で、12月は関西の番です。
ところが実は、ことしの12月は神戸も大阪も会場を押さえられませんでした。
独立講演会は、大震災直後の2011年5月22日に始まりました。
この第1回は、同じく大震災から甦った神戸で開催し、これを原点としています。
しかし当初は200人から300人ほどだった参加者が今は、少なくとも倍の600人以上、多いと800人を超えています。
そのため大きな会場を確保するのがなかなかに難しく、ことしの12月はこの京都国際会議場だけが何とか確保できました。
ですから台風の襲来がある前から、次々回、第36回の独立講演会は京都開催が内定していました。
前のエントリーで「なお、今回の事を踏まえ12月に再び京都で独立講演会を開催します」と記したのは、台風で急遽、もう一度京都で開くことにしたという意味ではなく、「再び京都で開くとき、今回に参加できないかたが発生するだろうことを踏まえます」という趣旨です。
したがって、今回に台風のために参加できなかったかた以外のみなさんにとっては、通常のご参加になります。
…まるで今回のことを見越したように、人気の高い京都国際会議場だけがなぜか確保できたのは、いつもの天のちいさな計らい、いや、天の愉しいいたずらかな。
そのことも昨日の独立講演会の冒頭で触れました。詳しく申せば、上記のようです。
次々回へのご招待は、台風以外の個人的な理由などで参加されなかったかたには該当しませんが、そこはすべて自己申告とします。独立講演会に志を持って参加されるみなさんを、信じています。
▼きのうの台風下の独立講演会ではまず、「今すぐに帰らねばならないひと」から始まって各時間帯で途中帰宅されるかたがたに手を挙げていただきましたが、正直、驚くほど少なかったのです。
大半のかたが、最後まで参加されました。
それでも途中で帰られたかた、ほんとうに残念でした。12月の京都で、会場から質問を受ける際に配慮します。
本来の開始時刻は、午後2時でした。
それを安直に早めてしまっては、台風の中を予定時刻を目指してこられるかたに申し訳がない。
一方で、途中で帰らざるを得ないひとを考えると、早く開始したい。
そこを考えて、すこし早めに「サービス漫談」としてぼくが話し始めました。
サービス漫談とは、政治や外交・安全保障といった話ではなく、個人的なお話、という意味です。
実際には「漫談」にはならなくて、わが母の死にまつわることから小説の脱稿、「ぼくそこ」こと「ぼくらの祖国」(扶桑社)の続編のことへ、すべてを繋げて即興でお話ししました。
これを午後1時半前後から話しました。
そして午後2時からは、いつもの独立講演会に切り替え、まずぼくが外交・政治の最新の情況をお話しし、そのあと会場からいつものように森羅万象をめぐる質問をお受けして、ひとつひとつお答えしていきました。
終了したのは、午後6時40分。
5時間を超えました。
講演中、独研の研究員がずっと台風と交通の状況を舞台裏でチェックしていました。
JR西日本は在来線の運休をさらに繰り上げ、たとえば京都駅発の姫路行き新快速を午後3時発で最終としました。
その最新情報を、研究員の手から受け取って、講演の途中でみなさんにぼくからお伝えしました。
私鉄はすべて運行していました。
▼写真は、冒頭の写真が午後3時15分です。
すなわちJRの在来線の運休を再び繰り上げたあとです。
下掲の写真も、2枚がその時間帯です。
1枚は、終了直前の午後6時37分です。
いずれも「個人ブログにアップする写真を撮っていいですか」と了解を求め、「写真が出ては困るかたは、すみません、顔を伏せてくださいね」とお願いして撮った写真です。
みなさんの表情が生き生きとされているのが、ほんとうにうれしいです。
参加されたかたがたから「無事に帰りました」という連絡が次々届いているのは、もっとうれしいです。
▼さぁ来月は東京、その次は再び京都で、一緒に考えましょう。
そして、ひとつ知っていただきたい現実があります。
11月9日に大阪の中之島公会堂で「大阪ブルーリボンの会」主宰の拉致をめぐる講演会があり、ぼくも講演します。
ところが例年に比べて半分ぐらいしか参加予定者がないそうです。
なんと、拉致への関心が薄れつつあるのでしょうか。
そんなことはありません。
この催しには、拉致被害者の有本恵子さんのご両親らも参加されます。心労の真っ只中にあるご家族を落胆させたりしないために、そして犯人の北朝鮮に「日本国民が忘れつつある」という全く間違ったメッセージを伝えないためにも、どうかおひとりでも多く参加してください。
サイトはここです。
このことは「水曜アンカー」(関西テレビ)でも「ザ・ボイス」(ニッポン放送)でも触れたいと考えていますが、生放送のことですから、考え通りにお話しできるかどうか分かりません。そこで、ここでもお伝えしておきます。


(この2枚は10月13日午後3時15分に撮影)

(この1枚は10月13日午後6時37分に撮影)