これだけ、ネットをみんながそれぞれ活用する時代になってもなお、テレビには関心が強いのですね。
下掲のエントリーをめぐって、いろんな解釈のコメントが、予想外に寄せられました。
いったんアップしたものは事実誤認などがない限り削除はしません。ただ、解釈のなかには、ありのままに申して間違っているものもあります。拡大解釈を防ぐために、修正はします。修正を行ったことは明記します。
拡大解釈を防ぐには、修正ではなく、ぼくが体験したことをすべて書くという方法もあります。しかしそれはモラルに反します。ぼくに正直に事実経過を話してくれた人たちに「すべてを公表します」とは告げていないからです。
どんな出来事のなかにも、日々、日本人らしい、清々しい良心も感じています。
「事実はこうです」と話してくれる人がいるからです。
そういう人々の立場は、永遠に護ります。
これは、記者として社会人生活を始めた瞬間から、今も変わらず、これからも死の瞬間まで変わりません。
そして、上記のような人々ではない当事者たちにも、ぼくは、その人々の痛みや苦闘を感じます。
それは尊重したいのです。
ぼくなりの生き方を貫くことと、それは、まさしく両立することです。
おのれの生き方だけを尊ぶのでは、ゆめ、ありませぬ。
その当事者たちご本人には、ほとんど申しませんが、違う生き方、違う考え方を、これも死ぬまで大切にします。
下掲のエントリーをめぐって、いろんな解釈のコメントが、予想外に寄せられました。
いったんアップしたものは事実誤認などがない限り削除はしません。ただ、解釈のなかには、ありのままに申して間違っているものもあります。拡大解釈を防ぐために、修正はします。修正を行ったことは明記します。
拡大解釈を防ぐには、修正ではなく、ぼくが体験したことをすべて書くという方法もあります。しかしそれはモラルに反します。ぼくに正直に事実経過を話してくれた人たちに「すべてを公表します」とは告げていないからです。
どんな出来事のなかにも、日々、日本人らしい、清々しい良心も感じています。
「事実はこうです」と話してくれる人がいるからです。
そういう人々の立場は、永遠に護ります。
これは、記者として社会人生活を始めた瞬間から、今も変わらず、これからも死の瞬間まで変わりません。
そして、上記のような人々ではない当事者たちにも、ぼくは、その人々の痛みや苦闘を感じます。
それは尊重したいのです。
ぼくなりの生き方を貫くことと、それは、まさしく両立することです。
おのれの生き方だけを尊ぶのでは、ゆめ、ありませぬ。
その当事者たちご本人には、ほとんど申しませんが、違う生き方、違う考え方を、これも死ぬまで大切にします。